予定地

いずれなにか書きます

「仕事は誰でもできるけどお母さんは替えが効かない」というテーゼよくわかんなくて、いや、どっちも替えは効かんやろと思う。(あと、もうちょっと歳を重ねると今度は「親と自分の家族と仕事とどれを取るか」みたいな話が出てくるけど、それも同様)

マリー・キュリーは娘を義父にあずけて研究してたけど、「こんなちっちゃい子を預けて研究なんて!」って認めなかったらその後のノーベル賞学者は生まれなかったし、逆に「研究が大事だから子どもは作らない」とか言ってたら、やはりその後のノーベル賞学者(イレーヌ・ジョリオ・キュリー)が生まれてない。

マリー・キュリーは偉人だから」って言う人もいるかも知れないけど、子ども産んだころはまだ偉人じゃなくて、優秀なアラサーリケジョ、ぐらい。それならば、現在「あなたおかあさんなんだから仕事より子どもでしょ!」って言われてるその人が、将来すごい偉大な事業を成し遂げ、社会の難問を解決し、たくさんの人を救う可能性だってなくはない。

仕事にも育児にも替えの効く部分と効かない部分があって、その勘所が大事なのだと思う。そして、外部からそこを思考停止させるのはよくない。

本当にお母さんでないといけない局面はさほど多くないし、本当に自分でないとできない仕事もさほど多くないのではないかしら。本当に自分でないとできないことって、自分の人生を生きることであって、そこには責任を持ちたい。