予定地

いずれなにか書きます

捨てて後悔しているもの

断捨離ブームで「捨てて後悔するようなものはほとんどない」って言うけど、私にはある。

離婚する時、当時住んでたのがものすごい荒れた汚部屋で(元夫に溜め込み癖があり古新聞や古雑誌、パンフレットなどいらないと思うようなものを捨てると激怒されたので、掃除をする気が一切なくなってそうなった)そこから、自分の物だけを確保して逃げるように出ていったんだけど、年末に引っ越して、春に、お雛様を飾ろうと思ったらなかった。押入れの奥にしまってて、新しい家には持ってこなかったのだった。

前の家にあった膨大なゴミは、退室の期日を決めて、その時点で残っているものはすべて廃品回収業者に持っていってもらうという、なかば特殊清掃のような乱暴な方法で方を付けた。数十万円かかったと思う。その時にお雛様も処分されてしまったのだ。

子どものころ、友達の家には段飾りのお雛様があって羨ましかった。家にあるのはお内裏様とお雛様だけの親王飾りだったので、精緻なお道具類が羨ましかったのだ。でも、量産品のお雛様はなんだか顔が怖いし、つるんとしてケバケバしいああいうのは嫌だという親の趣味もわかった。
しかし、落とし所が見つかった。ある年のひな祭りの日に、ガラスケースに入った3段飾りの座り雛が家にきた。手作りの木目込み人形で、お人形の顔はどれもふっくら優しく、着物の色味も王朝風の上品なものだった。とても気に入って、毎年出して床の間に飾るのが楽しみだった。

しかし、結婚してからは、そういう汚部屋生活で飾る場所なんてなかったから箱にしまいっぱなしだった。別居して、娘と2人で3LDKのマンションに引っ越し、ようやく何かを飾れそうな場所ができたから、ずっと飾れなかったお雛様を飾ろうと思ったのだ。

その時に受けたショックって、今こうやって書いてても胸の奥から何か苦いものが上がってくるような悲しさで、どうしてあの時押入れの奥まできちんと確認をしなかったのかって今でも思う。

娘はちゃんとお雛様を見たことないということもあって「別に気にしなくていいよ」って言ってくれるし、母も「大変な中、きちんと生活を立て直したんだからまた買えばええやんか」って言ってくれる。それでも、やっぱり後悔している。

何かの代償だったと思えばそれで良いのだろうけれども、どうしても心の奥に引っかかっている。