日記(10/1)
前いた会社の内定式だったらしく、同じ年のはずの取締役が「自分も22歳の気持ちになってやり直すかなー(違」とか書いてて、あれれ、そういえば自分は17歳だったと思った。おいおい。
17歳教、老害っぽいふるまいをする歯止めになる実益があるなーって最近思うことが多い。それ自体が老害っぽいというのはさておき、心構えとして、結構よい。
具体的にはこういう効能がある。
- 「私が若いころにはそんな便利なものはなかった」とか言わなくなる
- 人類は進化しているのだから昔より今のほうが良いのはすばらしいことなのに、不便だった昔のことを言っても仕方ない。別に年齢関係なく便利なものを使えばいいと思う。
- ベビーカー論争とかもなんかそういう感じ。17歳として生きれば、少なくとも、生きてる今が今で、昔とかはないので、今の人は便利さに甘えてるとか無意識に攻撃するようなこともなくなって、結果、社会がよくなると思う
- 若い人に対して「若いわねー」的な物言いしなくなる
- 若い人特有のフレッシュさがうらやましくていいと思えば自分も初心を忘れずフレッシュに振舞えばよいのだし、未熟だなって思うなら黙ってればいいと思う。こういうの、言われたほうは、反応に困るし、バカにされてるように思う人もいる。
- 「君が小学校のとき、私もう働いてたよ!」とかわざわざ言うの不毛すぎる
- 昔話や自慢話をしなくなる
- 前世の話をしても仕方ない
- それに付随して、昔のトラウマ的なこともあんまり自分で掘り起こさなくなるので健康的
- 卒業アルバムとか昔の思い出を惜しげなく捨てられる(これはもともと執着ないほうだけど)
- 昔はよかったと思わない分、いつも未来に希望を持てる
高田純次さんも「昔話」「自慢話」「説教」をしないよう自分に戒めているって聞いた。そう考えてみたら、ふざけて「アドミン星からやってきた中間管理職アイドル!ラブリー17歳でーす☆キャハっ」って言ってるだけで自然にそれが排除されていくのでテキトーに生きるには非常に良い。
できれば、ずっと「17歳です」っていって「おいおい」って突っ込みが入るような人間でいたいって思ってる。