予定地

いずれなにか書きます

日記(9/15)

夏の間に1度ぐらいは行っておきたいね、ということで、ビール好きを集めてビアガーデン行った。

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ここ、バーベキューがわりとよくて、肉がいっぱいだった。大人だったらお腹いっぱいになると思う。若い男子だと足りないかもしれない。あと、全自動ビール注ぎ機でセルフで無限にビールが汲める。勢いよくビールを飲んで、2次会でまたカラオケに行って勢いよくビール飲んだ。最近、すごい頻度でカラオケ行ってるけど、メンバーが違うと歌う曲とかも違って面白い。でもそろそろ疲れたからしばらく蟄居したい。平日にお酒飲むの疲れる。勢いがあると勢いのままに走ってしまうのが私の悪い癖だとも思う。

なんか、最近、結婚の話が流行ってる。自分としては、結婚の話とお金の話は、すごいパーソナルな人間関係の外ではなるべくやりたくないと思ってるんだけど、しかし、インターネットではそういう話がすごく人気で、日頃は流し見してるだけだから別にいいんだけど、そういうのが社内でバズるとわりとつらい。

このへんのトピック、賢い人は知恵をつかってうまくやろうってアプローチ取るから、失敗してる自分にとっては、なんだかそれだけで責められてるような気持ちになるってのがある。下手すると「お前は幸せになる資格ない」って、いろんな人から言われてるような気持ちになる。

一般論、上手く行ってる人とか、まだ淵に足を踏み入れてない人から見ると「うんうんそうだよな」って感じなんだろう(だから盛り上がる)でも、実際にその淵でおぼれた人からすると「その通りにできたら苦労しねえよ!」って思う。でも、ジャングルのことを語るのは、いつだって生きて帰って来た人だけだし、ジャングルには思いもよらない危険があってふとした拍子に死ぬ。

実際、結婚生活において、自分が陥ってきた状況はいちいち悲惨なんだけども、その場その場で精いっぱい対応してて頑張って生きてきたとは思う。自分がやってきたことには後悔はないし、機会があれば、また結婚したいとも思ってるんだけども、人に語れるような教訓はないし、だいたい、幸せの形なんて人それぞれ全く違うんだから、一般論なんて何も役に立たないし、他人と共有できるものでもない。

と、ここまで書いて気づいたんだけど、そもそも、自分のさまざまな条件が一般的な結婚相手として優良ではないし、もし、誰かと結婚するとしたら、相手には世間一般的な「よい結婚」「理想の結婚」みたいなものをあきらめてもらう必要があるということになる。「幸せ」を条件で考えた場合、私は完全に相手を不幸にする存在ってことになる。だから、一般論や理屈でない部分でつながれる相手でないとどうしようもない。一般論を捨てたところでならば最高の奥さんになれるよという自負はちょっとだけあるんだけど、それを相手に押し付けるのか、って考えるといつもどこか罪悪感がある。誰かを好きになると、その現実がすごくつらい。

まあ、なんというか、幸せになりたいけど、普通のやりかたじゃ幸せになれない場合に、普通のやりかたを話されるとすごく傷つくし、相手があることならなおさらそう。そういうことだと思う。腑に落ちた。