予定地

いずれなにか書きます

娘と自分のこと

なんかわりと小さいころから「私が90歳になったら、娘は60過ぎてる」ってのを考えてた。順当にいけば、自分は衰えたほうのババア、娘は元気なほうのババアになるということ。

できれば、一生元気で介護の必要もなく生きたいけれども、それでもまあたぶん多少は耄碌するだろうから、様子は見てもらわないといけない状態かと思う。

「娘にどんな大人になってもらいたいですか」って聞かれたとき、自分が死ぬ前の段階をゴールとして考えると、娘にはいいババアになってほしい。いいババア、たぶん「健康で強い心を持ち人に優しく生活力がある」みたいな感じだと思う。これ、汎用性があるから、そういう指針で育児してきた。

増田で、娘を純なまま育てたいという父親がいてずいぶん話題になってたけど、少なくとも、自分が耄碌ジジイになったとき、娘が純粋な子どものままだったらたぶん困ると思う。どっかで、ある程度は面の皮の厚いおばちゃんにシフトチェンジしてもらわないと困る。

そのシフトチェンジのタイミングってどこかというと、それがおそらく思春期ぐらいで、そこで一旦親を突き放さないとダメな感じはする。別に邪険に扱うというのではなく、自分と親は別個の人間で、いつまでも親に庇護されているわけではないことに気づく感じ。そこではおそらく「純なまま」というわけにはいかないと思う。

純なまま30ぐらいまで行ってしまうと社会生活にも支障がでる。70歳になったときに40歳の純な中年女性とフロに入るの、なかなかぞっとしないと思う。

★★★
親と子どもが別個の人格として分離するの、一般的には親側から働きかけるのが難しいから子どもには反抗期があるんだけど、親のほうから分離したがるとあんまり子どもが反抗する必要ないんで楽かもしれない。