予定地

いずれなにか書きます

娘が私の買い置きしてたロッテのカルバドスチョコを1粒食べて「ごめん」って言うので、「娘は1日の必要なカロリーが2000kcalぐらいあって、私は1600kcalだから同じペースで食べたら太る。だから、自分の分を娘にわけてあげるのは栄養学的に正しいんだよ」みたいな話をした。

気持ちの上でも、自分ひとりでおいしいもの食べるの1としたら、娘が食べて「おいしい」っていってると0.25ぐらいのおいしい気持ちが流れ込んでくる上乗せがあって、結果として1.25楽しめる、みたいなのがある。

「娘も子供ができたら、そう思うんじゃないかな」って言った後、もしかして孫ができたら0.25が0.5とかになるんじゃないのかという仮説が芽生えた。

個人的な体感として、年を取るにしたがって、自分の自我みたいのは、ぼんやりして薄れていく感じがある。だいたい自分の知り合いの年寄りって80こえるぐらいから、だんだん自分どうでもいい、みたいになって、自然に溶け込む感じになって、やがて死んでいってた。(まあ、ずっとゴウツクババアみたいのもいるけど)

この、娘の「おいしい」が自分の中においしいエネルギーとして流れ込んでくる感じを、ずーっと突き詰めるとそうなっていくのかもしれない。娘の気持ちが0.25流れ込んでくる、孫の気持ちが0.5流れ込んでくる、ひ孫の気持ちは0.75かもしれない。

その分自分の比重は軽くなっていくとしたら、そしたら死んだ後は、自分が0になって、自分の愛する人たちの気持ちが流れ込んでくる器になるんだろうか?それが神仏とか守護霊とかそういうものなのではないだろうか?

なんか壮大な話になったけど、若いうちは後ろめたく思わず、自分の事を筒一杯楽しむべきなのかも。大切な人が増えると、自然に集合意識に溶けていくんだから、他人のこと考えるのはそこからでも間に合う気がする。