予定地

いずれなにか書きます

さらにもやもやしたところとして、男性はなにか成し遂げないと承認されないのが、女性は成し遂げた人の妻や恋人であるだけで承認される非対称性があって、べつに奥さんが実際に何をやったのか見てるわけでもないのに「奥さんがいてこその成功ですね☆」みたいなことを外野が言うの、いったいなんなのだろう?

というか、なにか成し遂げた男性の奥さんって、それだけでたいてい「良い奥さん」ということになってないだろうか、みたいなことが、今年下半期のモヤモヤでした。

でも、このモヤモヤは差別とかそういうのではなく、もうちょっと個人的なところに根ざしてるようにも思う。

私は奥さんだったときは「いい奥さん」じゃなかった。べつに夫を幸せにしたわけでも成功させたわけでもないからそうだと思う。「奥さんがいてこその成功ですね☆」って視線を裏返すと「奥さんのせいで失敗しましたね」になる。で、私の責任だから何とかしようと思った結果として、自分が壊れてしまった。

世間で言われるような「いい奥さん」と「悪い奥さん」の違いが「旦那さんが幸せかどうか」であるならば、その人の努力や資質じゃなくて「あたりを引くかはずれを引くか」という部分もあると思わないと、いい奥さんになれなかった人は、壊れてしまうのだ。

もちろん「あげまん」みたいな感じで、夫を励まし盛り立てることで本来はダメだった夫が社会的に成功する事例もあるとは思うけど、それがすべてであるかのように言われると本当につらい。つらくなる人がたくさんいると思う。

それは、女性がつらい以上に成功した男性自身の資質とか頑張りとかをも全否定してる感じもする。男性を女性が完全にコントロールできるとは考えたくない。男性の成功は女性の成果じゃないし、男性の失敗は女性の責任じゃない、私はそう考えたい。そう考えないと自分がもたない。で、私だけじゃなくて、そう考えないと不幸になる人が世の中には結構いる。だからモヤモヤするんだと思う。

自分の経験からしても、生活に必要な基盤が満たされていれば、人は寛容になれるし、将来への不安ゆえの破壊的行動もあまり起こらないと思う。だから、いい奥さんっぽく振る舞える。今の私が正常に振る舞えているように。そして、逆もまた然りだと思う。生活苦とかで基本的な部分がダメな場合にも、いい奥さんできる人ってそうそういないんじゃないだろうか。

夫が働いてなくてロクに衣食住も満たせない生活水準で、自分が働いて家計を支えてるのに、帰ってきたら夫はゴロゴロテレビみてて、それでも「夫はいざという時には私を助けてくれる」と信じて家事全般はなんとかこなしてたら、そのいざという時に失踪されたりとかだったら、さすがにどうにもならないのでは?

さて、娘は家計を支えてくれるわけではなくて、家事を手伝ってくれるわけでもないけど、娘が娘自身の人生を勢い良くまっすぐに生きていこうとしている(思春期だから本人はそう思ってなくてもナチュラルにそういう存在だ)というだけで私にとっては何らかの励みになっている。だから、別に何もしなくてもいい感じがする。それで誰かに褒められることはない。

で、娘の成功も失敗もべつに私の責任でも成果でもないとも思う。娘のことで褒められたり叱られたくない。それが親としての責任を放棄してるのか自立してるのかはよくわからない。

もし誰かともう一度結婚するとしたら、そういうスタンスで暮らせる人とじゃないと無理だと思う。でも、コントロールされなくても平気で勢い良く自分の人生を歩いていける男性ってあんまりいない気がする。いたとしたら女なんてめんどくさいのとは付き合わないかも知れない。あるいはとっとと可愛い子と結婚してるのかも知れない。なんかちょっと絶望的な気分になる。