予定地

いずれなにか書きます

ある文化圏では、わりと手っ取り早く男女がセックスする仲になるというのはあるかも知れないんだけれど、だからといって彼ら彼女らがセックスのことしか考えてないってわけじゃなくて、ひとが本当に欲するのは、たいていその向こう側にある何かなんだと思ってる。

人は人を単一の欲望では求めないものだと思うし、本当に欲しければ何もかも欲しいものだと思う。欲しいもの同士、与えたいもの同士ががっちりと噛み合うような関係を本当は望んでいるんだけど、なかなかうまくいかなかったりするから、男女が求め合うにあたって、いちばんわかりやすい入り口のところにある性欲だけしか結果的に手にすることしかできなかった、そういう感じなんだとおもった。

セックスの手前にいるとセックスのことを考えて、でも、そこを超えるともう考えなくていいから次のことを考える。次のことを一緒に考えられない相手であればそこで終わる。そういうものなのかもしれない。

でも、ハナから次のことを考えられるような相手を求めることを投げてる人もいる。超えればそれでいい人、超えることに意味をかんじてる人。超えられるということで自分が何らかの価値を持ったような気持ちになる人。惰性でそこを超えている人。でも、そういう人たちはセックスのことを本当には考えていないと思う。むしろほんとうに欲しいものから逃げてるんじゃないだろうか。

身体に飽きたあとに残る何かを、たぶん本当は欲してるのだと思う。