予定地

いずれなにか書きます

世界の仮説

人生とは、みたいな問いに私の中で採用してる仮説があって「人間はネトゲアバターみたいな感じの存在で、もっと高次のプレイヤーがそれを操作して遊んでいる」と思ってる。アバターとはいえ、ある程度は自律的な判断をするアルゴリズムがある。ゲーム性はどうぶつの森みたいで、特に何らかのゴールがあるわけではなく、要はアバターの一生を面白くできればそれでいい感じなんだろうと思う。

たとえば、障害があるとか、紛争地域で生まれるとか、生まれてすぐ死ぬ、みたいな不条理は、あえてそういう条件を選ぶプレイヤーがいるんだと思う。「スーパーハードモード」みたいなやつ。乙武さんみたいにすごい条件なのに活躍してしまうアバターを操作してる人は、きっとあっちの世界ですごいゲーマーとして称賛されたりしてるんだろう。逆に初心者向けのイージーモードもある。金持ち、美男美女、平和な世の中。定期的に発生する災害もある。影響を受ける確率も設定によって違ってくる。それだってシムシティと同じだ。

輪廻転生とかいうのは、たぶんプレイヤーが同じ人の別アバターだろうし、自称マリーアントワネットの生まれ変わりが何人もいるのは、チュートリアル用のキャラとして偉人や有名人が存在する、みたいな風に考えるとつじつまも合うし、悪いことをしたら罰があたるとかいうのは、PKしまくってBANされるみたいなやつだと思う。それなりにいろんな宗教の理屈が「そういうゲームのルール」というところに収束できて便利。「カミサマはわたしたちを愛しています。」そりゃそうだ、自キャラには愛着もあるでしょうよ。ゲーム内でひどい目にあわせたとしても。

だから、人生の目的とは?って問いの答えは「どうぶつの森って何が目的のゲームなの」とまったく同じで「その人生でしかできない体験をやって目いっぱい面白ければいい」みたいな感じだと思ってる。で、多少の不条理も自分が選んでるんだろうし、そこはアバターの個性として乗り切りたい。「つよいあばたー よわいあばたー そんなのひとのかって」ってやつだ。