予定地

いずれなにか書きます

これですけど、艦娘が潜水艦こわいのは当たり前だし、ハマケンが爆弾こわいのは踊りのキレがハンパないし、まんじゅうこわければ熱いお茶もこわいし、そういうことを言ってるわけじゃなくて。
だれでも、怖いものを怖いと思うのは当たり前ですが、わざわざ「こわい」と主張するのは不思議なことで、それで状況は変わらないのに怖いと言うのはなぜかというと、ひとつの動機として「自分が怖いものを同じように怖く思う人がいる」ということを知ることで「自分が特別に弱いわけではない」と気づいて安心できるというメリットがあって、あと、逆に、自分の繊細さアピールみたいな意味もあるかも、って思ってた。
しかし、このところ、どうも本来は対等であるものに対しても一方的に「こわい」と主張する事例をいろいろ見聞きすることがあって、「こわい」ではなく「好きじゃない」とか「腹が立つ」って普通にいえばいい場面で、なぜか一定の傾向のある人たちは「こわい」という言葉を選んでて、そこには繊細アピールにとどまらない謎の攻撃性があるように見えた。
なんというか、ゴキブリが出た時に「こわい」って訴えて誰かにかわりに殺してもらうような攻撃を生身の人間に対して無意識に行ってるのに、自分は守られるべきか弱き存在だ、みたいな感じで振る舞うのが怖いと思った。あと、前向きに問題を解決しようとすることから回避しても「こわい」って言ってるうちは少なくとも誰からも責められない。自分が不快に思ったことに対して自分では一切手を汚さずに、誰かに「なんとかしてよ」って言うために「こわい」って言うのは、なんかずるいと思う。

まとめますと、その人が「こわい」ということで得ようとしている周囲の反応が「私もそれこわい」とか「えー、それこわがるのwww」であるなら健全、「かわいそうだお!かわりにやっつけてあげるお!」だったらちょっと怖い、そういう感じ。