予定地

いずれなにか書きます

誕生日が井上喜久子と同じなので、ちょうど今日めでたく17歳になった。

17歳というと私が父を亡くした年にあたる。そして、その父が死因となった病気(すい臓がん)を発病したのが、たぶん今の私ぐらいの年だったと思う。ちなみに私が子どもを産んだ年は、ちょうど父と母が私をもうけた年と一致するので、ライフサイクルを自分と照らし合わせて考えやすい。

今にして思うと、相当の早死にだと思うんだけど、私にとって父親は1人しかいないので、私から見ると相対的に早いとか遅いという感じがあんまりしない。特に、病を得てからは気難しい老人のようになってて、日に日に弱っていくのも近くで見ていたので、その時も「ついに来たか」という感じだった。周囲の人のほうがむしろいろいろ気を使ってくれたと思う。というかそういう気の使われ方をするのに面食らったというのも覚えている。葬儀の時、自分は泣くどころじゃなかったけど、別に親しいわけでもなかった同じクラスの委員の子が泣いてたりして、なんか妙な感じだった。

たぶん私はそんなに早くは死なないと思うけど、人間というのは死病を得るとそう長くないうちに亡くなるし、事故で思いがけず亡くなることもあるし、自ら死を選ぶこともあるのも、またそれなりの実感としてわかってる。それはそんなに遠いものではない。

父の葬儀の日、ちょうど会場の教会からほど近い踏切で事故で死んだ人がいて、父とそう変わらない年頃だったという。その人にも遺された人がいて、どんな思いをもったのかもよくわからないけれども、もしかしたら、その人たちなりに意外につじつまがあっているんではないかと思う。

生と死はワンセットなので、誕生日ごとにそんなことを考えている。