予定地

いずれなにか書きます

最近いろいろ感じたことをだらだら書く。このところ湿気が多くて心理的にも結構うじうじしていることが多い。書いたらわりとすっきりするので書く。

  • よくあるギークネタを女の子っぽく消化するアレに対して抵抗があるのは、そのネタとの距離感によるなと思ってて、自社サービスとか、自分自身がそれを実際使ってて大好きだ、とかだったら別にいいんだけど、よく知らないけどギークの間で話題になってて盛り上がってるからみたいなのは単なる媚びとかアクセス稼ぎだなって思う。なんとなくそういう線引きがある。あくまで個人の美意識の問題だけども。
  • 手も握ってない相手から無償の愛を注がれるというと聞こえがいいが、愛を注げるような距離に手も握りたくない相手がいつもいるというのは生理的に気持ち悪い感じがする。ずいぶん我慢強いと思う。
  • 逆に自分が無償だと思ってる何かは、相手に対価を払う喜びを与えられていないのであれば、与えるべきじゃないんだな、とも思った。ギブアンドテイクというとドライな感じがするけれども、一方的なのはどこかにエゴの押し付けが発生してる。ちゃんとさらさら循環しないと。
  • 自分が何かを好きだったり誰かと仲よかったりするとか、あるいは何かに対して嬉しいとか悲しいとかそういうものってとても大事なもので家族だろうが恋人だろうが乗っ取られたくないと思う。勝手に混ぜて欲しくないし、勝手に同一視したり代弁されたくない。影響を受けてその人の領域が変わるのはいいけど、私の領域までを勝手に自分の領域扱いにしないでほしい。ただ、そういうのはあんまり多数派の考えではないのかと思う事例が最近多発してて、自分は冷たいんだろうかとも思う。
  • でも、私が手にしていることによって自分が手にしているかのように同一化されてしまうと、私との関係がなくなり私を切り離す時にその人にとってのその領域もなかったように切り離されてしまう。それは悲しいから、自力で自分のものにできないのならば、私のものを私が手にしているからといってあたかも自分のもののような顔をするのはやめてほしいっていうことなのだ。二人で同じ物を持てたら幸せなのに。
  • ブラコン、主人公がグイグイ押してくる兄弟に対してただ流されてるだけのとこが見ていてどうしてもつらいんだけど、ああいうシチュエーションノベルとかノベルゲーみたいなのだったら主人公に主体性持たせるのは無理だから仕方ない。そう考えると、うたプリの場合はSTARLISHってプロジェクトを成功させるという目的意識があったから、そこに向かってる主人公が素直に可愛いって思えたし、全部のキャラクターに対して寸止め的になってるのもすべてはSTARLISHのためって意味付けができてたから、あれは上手くできてたんだなって思う。さしたる意志もなく流されてるだけなのに偶然が重なって寸止めみたいのは説得力がなさすぎる気がする。せめて「生き別れになってた実妹でした」って設定だったらまだ寸止めに納得できたけれども。
  • 難しいこと考えずにポジティブな気持ちで目先の目標をクリアすることだけ考えて仕事するとすごい楽で捗るけど、やっぱり質は落ちる気がする。質というか、切り捨てられる部分がすごくたくさん出てきて、でも切り捨てられた部分の中にちゃんと見ておかないと後に禍根を残す芽が含まれてるという感じ。