予定地

いずれなにか書きます

お母さん仕事やめてとかなんとか

家に専業主婦がいることが前提になっている場所からは注意深く遠ざかるようにしてる、とコメントしたけど、これは別に差別とか思想的に合わないとかそういうことがいいたいわけじゃなくて、誰か大人が張り付いてないとケアできない子どものあれこれというのは世間にたくさんあって、そういうのに付き合いだすとキリがない、ということです。

たとえば、子どもを芸能界に入れたいと思ったら誰かがついてないと無理だし、本格的な芸事を習わせようとしても誰かがついてないと無理。それはやっぱりアウトソースできない。それはもう仕方がないことなので、最初から選択肢として考えないようにしているということなんだけど、もしかしたらそれは「大人のために子どもの選択肢が奪われてる」のかも知れません。たとえば、うちの娘はフィギュアで五輪に出たり、ジュニアピアノコンクールで入賞したりする可能性は親によって閉ざされたといえなくもない。

とはいえ、子どもに割り当てることのできる時間的リソース、金銭的リソースって働いてる働いていないにかぎらず人それぞれ上限があるのが現実で、それが少ないことに対して罪悪感持つと本当にキリがない。ならば、その上限が近い人たちと親しく付き合うほうが、いろいろ楽だし現実的だと思うのです。

あと、自分の子ども時代を思い起こしても、娘を見ていても、基本的に子どもは結構単純にできていて、要は、自分のまわりの友達と同じようにしたいだけなんじゃないだろうか。まわりの友達のお母さんたちが、遊びに行くと手作りお菓子でもてなしてくれるような人ばかりの場合は「お母さん家にいてよ」ってなりますし、逆に、まわりの友達が鍵っ子ばかりだったら「うちのお母さんも働きにいけばいいのに」って思う、そういうもんです。そりゃ幼少期に十分な愛情を実感できてなくて云々という子もいるかとは思いますけど。

中学受験ぐらいなら、親が出張らなくてもどうにかなってる人だっているので、塾を変えるなり、共働きが多そうな場所に引っ越すなり、できないもんなのかなあ。そういうふうに思いました。