予定地

いずれなにか書きます

別にどっぷりと何かの宗教や特定のスピリチュアルな何かの流派にはまってるわけではないけど、なぜか、唐突に縁ができてヒーラーとか占い師の人とか精神世界系の人たちと話す時間ができたりする。具体的には、だれかのツイート経由だったり、大量に購読してるフィードのどこかで引っかかったりで、ふと気づいたらコンタクトとってる、という感じになる。

思い起こせば、2011年最初の新月の日1/4も祈祷師に占いとお祓い(のようなもの)を受けてたんだけど、なぜか2011年最後の新月の日12/25も別のヒーラーにヒーリングされることとなった。どちらも別に日を選んだわけではなく都合が合うのがそこだけだったんだけど。

詳しいことは省くけど、こういうもののいいところは他人に話を聞いてもらって泣けることであり、大人になると誰かに相談したり愚痴をこぼすことはできても、言っても仕方がないことを言って泣く、ということが許される場所は本当にまったくない。だって自分だって「言っても仕方のないことを言って泣く人」の相手とかしたくないと思うし。

そもそも「言っても仕方のないことを言って泣く必要ってあるんだろうか」とも思うけど、ある人もいるんじゃない?と私は思う。ヒーラーとかは(良い人も悪い人もいるとは思うけど)その言っても仕方のない思い込みをちゃんとほぐしてくれる能力がある人がいて、ほぐしたのを流したて綺麗にするのは最終的には自分なんだけど、それをちゃんと自分でやる覚悟があれば、うまい具合にほぐすところまではやってくれると思う。*1

自分の中での解釈として、1/4の時は「ありのままを受け取って感謝する」みたいなテーマがあって、今回は「ありのままを表現して恐れない」みたいなテーマだったみたい。それと、家族というか幼少の時の問題の克服。

これも不思議な話で、この間ブログで家族の愛のことについてぐっと考えたのが呼び水になっていて、話してる時に自分の問題点がするっと出てきた。いろいろ絡まり合って符合していると思う。

*1:そこが結構微妙で、ちゃんと自分がないと依存体質になってしまう弊害もまたわかるが