予定地

いずれなにか書きます

今日のお昼にふと気づいたんだけど、私が「他人の幸せに不寛容」っていうのはすべての幸せに不寛容なんじゃなくて、むしろ、誰かがひっそりと手の中にもってる幸せはいつまでもそのままで在ってほしいと、本当にそう思ってるんだ。

たぶん、私が嫌いなのは、わざわざ誇示するかのように見せびらかされる幸せ。世間でいうところの幸せの形にはまったところをわざわざ飾り立てて言葉にして写真にして見せつけてくるそういうの。あれを見ると、どうも裏側に渦巻く何かをひっくり返してみたくて仕方がなくなる。

たぶん、本当に幸せな人はそういうの誇示しない。ああいうのは、たぶん誰かに見せびらかすことによって自分の幸せを盤石にしてもらわないと不安だからそういうことをしてるんだし、たぶん中身はすっごいグズグズなんだ。それが見えるから気分悪くなるんだと思う。腐った地盤の上にコンクリートを塗るのを手伝わされたような、そういう感じの気分になる。

まあ、考えてみたら、そんなもんはもともと壊れてるものなんだから私が気分を害するようなことではないのだ。うん。