予定地

いずれなにか書きます

12/8 ネガティブに考える、ポジティブに実行する。

前にふろむだ先生が「できない理由を指摘する人よりできる方法を考える人が成功する理由」みたいなタイトルの記事を書いてたけれど、そもそもこのタイトル、ちょっとずるいな。
だって「できる方法」を考えるためには「できない理由」なんてものはその人の中ではすでに把握済でないと無理だよね。普通に考えればわかるけど。
「できない理由を指摘する人」は、折り返しがあるコースの折り返し地点までしか走ってないランナーだ。そこから「できない理由」を潰す方法、すなわち「できる方法」を考えてスタート地点に戻ってこないとゴールしたことにならない。それだけの話。
「できない理由」どころか下手をすると「できない可能性」すらも考えずに「できるできる」と言い立てる人は「できる方法を考える人」ではない。むしろ「できない理由」を黙って丁寧に考える人が「できる方法」のもっとも近くにいる人ではないかしら。
ネガティブ思考も、種からは先に根が伸びるようにまず下に向かって掘り下げていき、十分に準備が出来てから上に向かう芽を育てていくみたいなのをイメージすると、決してわるいことではないと思う。
かつて、組織や社会に「老害」と言われる人がいてネガティブなことを言い立てる中、有能な若い人がそれをつぶしていくみたいな構図がありえた時代は、考えてみたらあらかじめ年寄りが土台を準備していたわけだ。(まあ、そこで若い芽も摘んでいた事例も多いから、あまりいいことでもないけれど)
しかし気づくと、こうやって偉い人が率先して「ポジティブに考えろ」としか言わなくなった。そういう時代ほど、注意深く自分の中でネガティブさを育てないと、土台のないところに建物を立てるみたいなことになってしまいそうで怖い。
扉のない犬小屋は後から扉をつけられるけれど、土台のない高層ビルに後から土台は作れない。そしてそれは確実にくずれる。