予定地

いずれなにか書きます

2/24 ふぐとか

昨日の続き。
先に食べた人が毒で死んでいるにもかかわらず、それでもふぐを食べた人というのもすごいんじゃないか。原始時代ならともかく、江戸時代にいたっても「あらなんともな」とか松尾芭蕉が言ってるぐらいで、そんなロシアンルーレット的な食べ物がぜいたく品として普通に流通してるのには狂気を感じる。
たぶん最初は「村みんなでふくれる魚を食べて、みんな死んだのに、こいつだけ平気だった、どうしてだろう」というところからデータが蓄積されて「内臓食べずに身だけ食べれば平気」「どうやらここが危ない」みたいな結論に至ったのだろうと思うけども、その課程では「砂に埋めれば大丈夫」とか妙な都市伝説も広まっているので油断ならない。おそらく「あの家系だけ大丈夫」とか「毎日お経唱えてて信心深いから大丈夫」とか、わけのわからない仮説もいっぱいあったんだろうなあ。
そもそも「あのふくれる魚は毒があるから食べちゃいけないよ」ですませずに、それでも食べる情熱はどこからきたのか。原始時代ならともかく、釣りや漁をする文明があるのなら、ふぐ以外の魚もいくらでも取れただろうから、飢えが理由とは考えられない。それだけふぐがおいしいということなのだろうか。でも命賭けるか?となると、やっぱり狂気だよな・・・
ふぐが安全に食べられる世の中に生まれてよかった。明後日ふぐ食べるし。