予定地

いずれなにか書きます

2/7 管理とか

本当に心の深いところでずっとずっと考えてることはなかなかうまく話せないし書けないもので、でも書く。書きかけて消したけどやっぱり書く。

自分の仕事は、管理したり決まりごとを作ったりリスクに備えておくこと。でも、それが「ちゃんとさせる圧力」になって、意欲や創造性を損ねたりモチベーションを殺しているならそれは苦しい。一番苦しいのはそこ。

批判されることを恐れる気持ちは誰にでもあって、自分は批判を受けるのが仕事なのだから、繊細で美しいものが無神経な批判にさらされて壊れたり変質してしまわないように守りたくて、少なくとも2007年の7月には私は強くそう考えてたはずなのに。

本当は、仕組みと決まりはいつだって近くないといけない。対立構造じゃだめで、お互いがお互いを内包するようにできてないと強度を保てないと思ってる。

欠けたところがあって「欠けてますよ」と言う。それは欠けてるからダメというものではなく、欠けの意図が理解できていれば「この欠けがいいよね」と言うことになって「いやいや、むしろ欠けのほうが大事なんじゃないの」ということにもなって、そうなれば、そこでわかってない奴らがやってきて「欠けてるぜプゲラ」とかいっても「わかってないね」って大笑いだ。

わかってない奴らに壊されたり、必要だったはずの欠けが埋められ、余分なパーツがついて、くだらなくなったものは本当に多い。理解者なしに批判を耐えきれる人は少ないから。

理解者になりたいと思ってる。でも、理解するために時間がいる。その時間が意欲を削ぐ。なら、時差を埋める方法を考えなくてはいけない。