予定地

いずれなにか書きます

10/27

過去の断片的テキストを掘り返して振り返る作業をここ3ヶ月ぐらい継続的にやってるけど、だいたい過去の自分のテキストを読むといつも過剰だし、「この人、大丈夫だろうか」って客観的に思ってしまう。
なんというか、心にあふれたもの(愛というよりもっとなんというか情っぽい液状の何か)を、注ぐためのはけ口をとにかく求めている感じが、文から痛々しいほどに見てとれる。
それは今だってその傾向はあるんだけど。
でも、たぶん、それじゃだめなんだという気持ちを、最近は持ってる。本来、求めるべきありかたはそうじゃないし、注ぐ場所もないのに、そういうものをあふれさせてしまってはいけないんだと思う。
じゃあ、どうするんだってのはよくわからないんだけど、もう少し、ニュートラルな姿勢で外を見て、もし足りないものを求めているところがあるならば、そこに注ぐ、そのために、そのときに、それ専用の情を湧き出させればいいんじゃないだろうか。
もっと無心でいられたらいいのに。