予定地

いずれなにか書きます

10/20

FaceBookに人が増えたので使ってみてるけど、個人的な感覚としては、ああいう非同期で密なコミュニケーションが心に大量に流れ込んでくると、より孤独に感じる。

自分と直接かかわってない人たちの楽しそうなやりとりに共感できて、気軽にその輪に入れて「ひとりじゃない」と思えればいいけど、どうしてもそういう感じになれなくて「ああ、私がいなくても世界は動いていくんだ」という孤独感を深めてしまう。

そこはサービスの構造というよか、そもそも自分のコンディションの問題なのかも知れないし、老化してネットのスピードについていけなくなってるのかも知れない。けれども、今はそういうのが寂しい時期なんだと思う。

ネットで知り合った誰かと遊ぶのはすきだ。今だって会う人のほとんどがネット経由だし。
一緒にイベントやったり、形になることを計画するのは楽しい。単に、知らなかった人と会ったり、密に話して友達になるのも、なんとなく親しみを感じるアイコンが増えるのも、もちろん楽しい。

でも、みんながなんとなく表面だけ「イイネ!」とストロークするのが急速に流れていくのは、早足の人ごみの中で知り合いとあってですれ違いざまに手を振り、でも口もきけない、そういうような感じがする。

スターに寂しさを感じなかったのはどうしてなんだろう。
むしろ、寂しさとか不安さをもってる人の助けになると信じていた2007年の夏のことを考える。それが、2007年の夏だったからなのかも知れない。でも、今もハイクでつけてもらうスターにはおざなりさとか惰性みたいのはそれほど感じなかったりする。まあ、連打するのは半ば遊びだけど。「うわ、これグッと来た!」とか思ってスター押すときの心理はやっぱり相手に対するリスペクトだ。

「ひとりじゃない」と錯覚させてくれるサービスか、たとえひとりであっても、そのひとりを強くさせてくれるサービスか、みたいなことを考えた。

以前から、Webサービスは、知識とかコンテンツが流通するためのプラットフォームとかいわれてた。で、その一つ一つのコンテンツに簡単にポジティブな意思表示ができる仕組みとしてスターはとても良かった。知識やコンテンツを作るのは、そもそも独立した個人だから、別に一人でも何も問題はない。

でも、今、みんながもとめてて、中毒するほど欲しがってるのは、もっと感情とかそういうものを流す水路のような場所で・・・共感してくれる誰かで・・・

だけど、最終的には一対一あるいは少人数で向き合わないと、本当に心に触れることってのはできなくて、無限に感情ストロークを続けることで、一人であることに気付くことを拒み続けても、どこかで破綻するように思う。

本当は、ただ一人でも、わかってくれる人がそばにいればいいって誰もが思ってるんじゃないかな。そうなると結局はどっかで出会い系に収束してしまうのかも知れない。なんか、考えがとりとめなくなった。

秋だからかつい考え込んでしまう。

あと、今の状況が3年前のあの時期と似てるというのはすごく感じる。みんなの感情の配置みたいのが似てる。でも、状況というのはループしなくていつもスパイラルだから、また違うものが見えていたりもする。

この無限につながっていって実は誰ともつながっていないというどうしようもない孤独感に出口を作るのがWebサービスだったら本当に面白いと思う。出口を作れる場所にいたい。