予定地

いずれなにか書きます

9/1

最近思うこと。
男の人はわりと女の人に母性というか包容力を求める部分が多くて、一方で若さとか美しさとかにぐっとくる部分もあって、たいてい、後ろのほうの即物的なほうに引っ張られてくだらない相手を選ぶ、とか、ひがみ半分で見てるんだけど、まれに、若くてかわいいにもかかわらず、母性をすでに持ちあわせてる女の子ってのがいて、いい男がそういうのをうまいことつかんでたりする。というか、男性が理想とする女の子像ってたいていそういうものなのである。うーっとなる。
自分はこの年にしてようやくある種の包容力のようなものが出てきた、ような、気がしなくもないけれども、時すでに遅しで、見た目は少なくとも旬を過ぎてしまっているのである。いや、これまでに旬というものが存在したかというとそうでもないんだけど。
で、若いころの私といえば、ひたすらぐるぐるぐねぐね悩んだり、うまくいかなさそうな人ばかりを好きになって苦しんでたり、そんなことばっかりやってて、さっぱり男の人を理解して包み込んで相手からも必要とされるような世界にはたどり着くことはできなかった。最終的に、授かった子供をイチから育てているうちにどうにか包容力的なものが身についていったように思うけれども、ずいぶん時間をかける必要があった。
しかし、こんなぐるぐるぐねぐねしないハイウェイを通って母性っぽいものを最速で身にまとうことができた恵まれた女の子(たち)はいったいあれはどこで身に着けたんだろう。で、あの私のぐるぐるぐねぐねはまったく無駄なものだったのか。あまりそれが無駄だったとは思いたくはないけど、なんだかうーんとなる。こういうぐるぐるぐねぐねした部分を大事に思ってくれる誰かというのはいるんだろうか。もういないとあきらめていくしかないんだろうか。そういうようなことを、最近たまに考える。