予定地

いずれなにか書きます

8/21

受験を予定している中学のオープンキャンパスがあるので、実家から娘と母を呼んだ。お昼ごはんは

マダム紅蘭

食べログ マダム紅蘭

で中華重を食べた。
見学終わった後、富小路六角の扇子屋さんに用事があるというので向かった。ここは30年来うちの母がひいきにしてるんだけど、母と買い物するうちに、だんだんイラっとしてきた。
どうも、母は「母が自分で欲しいもの、好きなもの」と「私の欲しいもの、私の好きなもの」と「私の視点から見て母に合うと思うもの」の区別が一切ついてないし、その上に、その区別をつけること、そこに差があること自体を嫌う。
よくあるパターンとして「これどう思う?」と聞かれる→母は好きそうだなと思って「ええんちゃうの」とかいう→会計を済ませたあと「買ってあげたから大事にしろ」といわれる(うちは没落してるんだから、そんな高価なものを買うこと自体キチガイ沙汰の上に、自分はビタイチ欲しいと思ってないのに!)
そういう行き違いがやたらに発生するので、「これどう思う?」と聞かれると、とりあえず「それはどういう観点から聞いているのか」を確認するわけで、そしたら、すごい心外そうな顔をされ「もうええわ」という展開になる、という。
今回の扇子の件も、そもそも私は母の好む(というか執着する)春慶塗りの仕上げも、かわいらしい小花の柄も一切もって好みではないし、そもそも茶事用の小さい扇子自体を使わないので、前に、私にゆずりたいと言われた時も「使わないしいらないから自分で使ってほしい」と固辞した、にも関わらず「たしかあんたにあげたはずだし、あれはどうしたのか、捨てたのか」と言われる始末で、そもそも持ってないし。「あれはほんとうに可愛かったよねえ」と言われても、母好みではあるとは思うが、私にはぜんぜん可愛いと思えないので、非常にストレスがたまる。
いい大人になってもやっぱり親とうまくいかないというのは、自分でも情けない。でも私にとって自分の好きな物を選んで身の回りに置くというのは神聖にして冒すべきでない部分で、いい加減にはしたくない。なんでそうやって身内だからという理由だけで、なんとなく同じであろうと決めつけて、浸食してくるのか不思議で仕方ない。で、私のそういう感覚は「冷たい」らしい。まあ、年を取ると自分が愛着を持って買い集めたものを、娘に引き継いで大事にしてほしいという思いもあるのかもしれないけど、そういうのは趣味の合う誰か他の人とやってほしい。
そもそも、まったくモノの好みが違うからどうしようもないじゃないですかね。少なくとも扇の骨は田舎の奥様然とした春慶より、黒か木の色そのままかのほうが好みなんだけど、母は「黒は絶対嫌」なうえに、私が黒を選ぶと「ふーん」みたいな顔してバカにするから、その時点で好みが合わない。蒸し暑い上にそういうやりとりばっかりですごく疲れた。
解散後、アジェの二号店でoqunoとgebetと焼肉たべた。そのあとカラオケ行った。oqunoのカラオケのコンテンツ性がはんぱなかった。