予定地

いずれなにか書きます

セクハラを成立させてる大きな枠組みとして、女性が女性的な魅力アピールと「自分はあなたより劣ったものです」という振る舞いによって男性をもてなし、男性がそれに対して見返りを与える、という取引構造があると思う。

さらに「モテる男性は金離れがいい(=スマートに女性に見返りを与えることができるゆえに女性を獲得できている)」というドグマ自体、ひっくり返すと「女性に見返りを与えればセックスして良い」ということにつながりかねない危険な主張だと思う。

要は「女性におごらない男は童貞」と言い立てることが(直接的に嫌がる誰かに対してそういったのではないから)百歩譲ってセクハラには当たらないとしても、セクハラが蔓延する構造の一部を形成しているんじゃないかと。

現状、特に若い女性にとっては「女性的な魅力をアピールしながら「自分はあなたより劣ったものです」という振る舞いをすること」それ自体は社会的な振る舞いの規範となっていて、それができない人間は「女子力がない」「こじらせている」「スキがない」と批判の対象となったりする。ワーキングガール向けのメディアを見ても、そこで紹介される仕事術とキャバ嬢の接客術、なんだか近い。

だから、女性がもてなしたつもりはなくとも、男からは、もてなしに対して見返りを与えたつもりになり、女はそんな見返りを与えられたつもりはなくとも、見返りに見合う対価として、さらに性的な何かを求められることはあり得る。

そいいう背景を考えると、単純な攻撃欲求とか性的欲求によるハラスメントより、男側は「女もそれによってメリットを得ている」(ワイドショーで男性芸能人がまさにそういう発言してたらしい)要は「取引が成立している」と考えている事例のほうが多そう。

セクハラ被害を受けた女性に対して、同情的に振る舞うセクハラ男性に対して苛立つ人も多いと思う。しかし、彼らにしてみれば「便宜を望んだ女性に対して、それに見合う対価を求めただけ。取引は成立しているので自分は問題ない。取引のルールを破って刺された無粋なやつは責められるべき。あいつはやりすぎた。」そういう考え方なのではないか。

どうも、世間で提唱されている「女はかわいく振る舞って、甲斐性のある男からおごってもらえるのが勝ち組」という価値観の中でハラスメントを避けるのは、チキンレースみたいなものだと思う。

ハラサーのほうが悪いのは当然としながらも、男女ともに、そういう構造から出ていく意識変革が必要ではないかと思う。その構造を変えるつもりはなくて、男側にブレーキの性能を上げようって言うだけの主張にはあまり同意できない。そもそもブレーキを踏むべきポイントがどこなのか曖昧すぎるのだもの。

幸い、自分は性別問わず仲間として働ける環境に恵まれてきたけど、そこには「女の子だからおごってもらえる」って文化もなかった。極端な話、仕事の場では童貞と喪女になればいいだけの話なのに、なんで性的魅力を持ち込もうとするのかとも思うし、さらに、性的魅力が社会的能力の一部であるかのように、できる男はモテる、できる女は愛される、そういうの自体、もうやめにしませんかね。