2007年のtwitterで何が起こっていたのかまじめに振り返ってみる
なんか「あの頃のノリをもう一度」みたいなのをよく見かけるので、どうやったら再現できるのか、そもそもどうしてああなったのかを考えてみようと思って。尚、私は2007年4月初週にはじめたので、そのへんの人による考察です。2007年組と2008年〜2009年最初ぐらいの人、両方、初期「ついったー」に愛着を持ってますが、厳密にはちょっと違うとこがあるように思います。
それまでのあらすじ
- 2004年にmixi開始→Web企業の社員がmixiでつながりだす
- 招待制により「身内の優越感」が煽られ、盛り上がった
- その後、サービスの規模が拡大し、趣味の友達や近所の飲み仲間とかもだいたいmixiコミュニティでつながるようになった
- 一方、当時はスターエンジニアの時代でもある。勉強会などによって東京のWeb系エンジニア同士はわりと顔見知りだったし、身内IRCで盛り上がっていた。サブテク入りたい。
- 2006年12月 ガラケー全盛時代。mixiもガラケーメールで登録可能になり、キャズムを越えてしまった結果、古参にとって居心地の悪い世界になる
- 2007年4月 突如twitterが発見される、Web系エンジニアから一気に広まる
- オープンインターネットの再発見
- 若手Webエンジニアを中心に、繋がりのあるユーザーが少しずつ流入し初期の「あるふぁついったらー層」が形成された
- その後、ユーザーによって派生サービスや、独自クライアントが作成され、twitterは「自分たちのサービス」になっていった
「オープンな内輪感」がどうして生まれたのか
- 誰でも登録して利用できるサービスではあるものの、当初は日本語が使えずエンコードして書き込む必要があったり、タイムラインの概念が普通の人には分かりづらかった
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- ちなみに、エンジニアたちはIRC的なものとして理解していた
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- 結果として「オープンなはずなのに、タイムラインどこを切っても知ってる人、顔見知り」という状況が数ヶ月続いた
- ネット有名人も含めてtwitterやってる人はみんな仲間という世界観+微妙な優越感
- だいたい近所の顔見知りベースなので、普通にリアルで遊ぶきっかけになった
- それをustでダダ漏れ中継するブーム
- 地方勢も「東京でやってるんだから、こっちも近所で集まろうぜ」というノリに
- さらに「面白いやついるから呼ぼうぜ」「遊びに行くぜ」という流れに
- 結果、twitter経由で転職したり上京する人も増え、人生のプラットフォームみたいになった
- 初期は、とにかくむっちゃ不具合出るということもあり「普通の人にはちょっとすすめられないねー」的なノリもあった。エラー画面で猫が修理してた時代。遅延とか面白バグがいっぱいあった。
- そういう事情から、コンテクストを共有していない一般人の流入には相当の時間がかかった
- たまにエンジニア臭くない人が入ると珍しいので男女問わず「ツイドル」になれた
- 一気に異質な人が入らないので「こんなところにわざわざ来る人は自分らの仲間」という感覚のまま規模が拡大した。心理的に自分たちの優位が確定しているので、新参メンバーに優しくできたというのもある
その後何が起こったか
初期ついったらーは今どうしているのか
2008年ごろの人たちとの違い
- 2007年組は本名所属を明らかにしてることが多い。会社の人が見てても「うんこ」とか言えるのでFBに移行しても平気
- 表示範囲使い分けるし、ウザい人は即ミュートなので、見えてるタイムラインは「うんこ」とか言う人だけだったり
- 一方、2008年組はtwitterの垢バレしたら死ぬ、みたいなタイプも多い。FBでは違うアカウントを運用してたり、そもそもFBユーザーとは相容れないと思っていたりする。
- FBユーザーはリアルと地続き=意識高いことしか発言できないというイメージ
どうして2007年のあのノリを再現できないか
予想「みんな大人になって人が多い場所では「うんこ」とか言いづらくなったから」
mstdn.jp ブレイク初日に突発オフやった感想
これが2007年だったら確実に「その筋の人」しか見てないという判断のもと、会場の所在地をタイムラインに流したし、飲み会の様子もustreamで配信したと思う。
それができないというのは、システムとかコミュニティとか以前にそんな勇気が自分になくなったのが敗因だと思う。だって、ややこしい人が来たら困るやん?
われわれはかしこいので。
コミュニティ運営に関する考察
- 強いコミュニティを醸成するために良い意味の内輪感は大事
- 外部の人があまり入らないと、安心感が生じて「内輪だけだとつまらないので、面白い人に参加してほしい」という意識になる
- 「マレビトを歓待する村人」という図式ができるとぬくもりが発生する
- こうして振り返ると、コミュニティ最初期は参加者数をむやみに増やすべきではないのかもしれない
ここまで書いて気づいた
クローズドなコミュニティだと面白い人が新規加入しない問題があるけど、実は多くの「元・あるふぁついったらー」は、FBに2007年4月当時のTwitterアクティブユーザー(から関わりたくない人間を除外した数)と同じぐらいの規模のソーシャルグラフを持っているのではなかろうか。
なので意図的に、行きつけの飲み屋で知り合った人みたいなクラスタ外の人と友達になるようにすれば、わりと昔のtwitterに近い状態になりそう。(自分はそうしているので、あまりあのころを懐古する気持ちもないのかもしれない)
システムでどうこうなるものではなく、心のありようなのではというスピリチュアルな話になってきた。所属欲求が十分に満たされた安全な状態で少しずつ目新しい人間関係が加わっていけば良いということだと思う。安全が確保された状態で軽率さを発揮するというか。