予定地

いずれなにか書きます

勉強を頑張っていい学校からいい会社入って仕事して高いお給料をもらうのは、人生の王道って感じがするし、そういう人たちが頑張って働いて税金を払ってくれていることで私達は楽をしているわけだから、それはそれで素晴らしいと思う。

しかし、もともと無理なくその道を歩けるタイプじゃないのに、王道を志向するのは正直なとこ無駄な努力って感じがする。これは賛否あると思う、というかたぶん叱られるけど。

(学習を否定するわけではなくて「時間制限あるテストでその場しのぎの得点を取る方法」に特化するのが無駄だと思っている)

たとえば先日報道されていた「90歳まで66年間学校でパンを売り続けて惜しまれつつ引退した購買のおばちゃん」には、良い大学を出たからといって、なれるものではない。そして私はそういう人生を否定したくない。

市井の生活者として生きる場合、決して学歴とか収入のヒエラルキー上位に行くことが幸せとは限らないし、そもそもヒエラルキーとは関係ない役割のほうがはるかにたくさんあって、たとえ賃金が安くとも、一般的に尊敬されなくとも、その人がそこにいることに意義と価値があるような仕事は無数にある。なのに変な挫折感を持ってそこにたどり着くのもなんか変だと思う。

ところで「職業に貴賎なし」というのは「だから差別するな」みたいな綺麗ごとではなく、(差別とかマウンティングが好きな人間は相手が誰であろうと何かしら見下すものだし)同じことをするにしても自分が賤業と思ってやると品質下がるのでプライド持ってやれって意味ではないか。

自分はどっちかというと勉強できるタイプの子で、子どものころの自分を思い起こすと、勉強して良い点取るのがとにかく純粋に楽しいと思ってやってた。

でも、親は、勉強ができるより家事を手伝ったり、お客さんに如才無く接待できるような子どもであってほしかったみたいで、いろいろ衝突があった。

勉強しても楽しくない子どもに対して、無理に勉強させるのはその逆だと思うし、やっぱり親子ともにそういうのは不幸だと思う。

ちなみに、娘は早いうちから、あんまり机上の学習に対して喜びを持たないタイプだという感じがあったし、ある意味そこについては最初からそこまで頑張ろうという気持ちなく来たので、振り返っても気楽だった。これが親と同じぐらいの学歴までは、と思って頑張ったら大変だったと思う。あと、家事を手伝ったりお客さんに如才無く接待できる、みたいな能力が親より高いのも早くに気づいたので、そこは素直に尊重できたし。

個人的な意見として「子どもができたらこれをさせよう」みたいな思いは、持たなければ持たないほど幸せになれると思う。だいたい子どもは勝手にやることを見つけてくるので、それを楽しませてもらうぐらいの気持ちのほうがよさそう。