予定地

いずれなにか書きます

今日、話していて「もしも死んだら」という仮定を自分がよくすることに気づいた。

たぶん、死ぬことというより、自分の命より長い時間軸を考えてしまう癖があって、自分の不在というのをどうしても考えざるをえない。自分のいない世界は体験できないけど、うっかり、何かを書き残しているともしかするとそれが残ったりする。残るために書く人もいるけど、そうじゃない人もいる。

私の父は切れっ端のメモも残さずに死んだ。(私が知る限り「片付けられない人」だったのに)好きな作家の武田百合子さんも書付などはすべて「死後焼却すべし」という箱の中に入れてあったらしく、娘さんがちゃんと焼却した、という。

なにか書くというのは自分よりも長生きしてしまう自分を残すということになってしまう。なんかそれは結構重い。あなたの不在の世界を生きる私。私が不在の世界を生きるあなた。