予定地

いずれなにか書きます

日本語では「サーバーが死んでる」「二日酔いで一日中死んでた」みたいな感じで動かないことや正常に反応しない状態を、わりとカジュアルに「死」と表現するし、動かなくさせることや、正常に反応させなくすることを「殺す」とも表現する。あと、それとは別に、ゲームにおいて「せんとうふのう」状態は実質「死」である。別にビデオゲームに限ったことじゃない。チェスの取られたコマは死んでるし、出せないカードも死んでると言える。

「死ねばいいのに」という表現に対して「脅迫とか自殺教唆だから犯罪だ」とか、そこまでいかなくとも「他人に殺意を向けるのはどうかと思う」という意見もある。でも、まあ普通に考えて、何らかの発言に対して行われる場合「黙ってくれ」って意味だろうし、何らかの行為に対して行われる場合「やめてくれ」でもあるだろうし、あるいは自分の端末の画面に表示されなくなってくれという意味でもある。そういう意味でブロック機能は実質相手を殺す機能といえるかもしれない。

(くたばれ、は意味的には死ねだけど、むしろこちらはdamnとかshitとかそういう感じの卑語の部類だからまた違いそう)

不穏当な表現ではあると思う。でも、少なくとも日本語において死ぬというのは慣例上生物としての死だけを指さない。あんまり上品じゃないとは思うけど、不穏当な表現を単に強いフックのある表現として使うことはどの文化圏でもあるのではないかしら。だから「死ぬ」「殺す」という表現をすべて生物としての死に結び付けて強く反応するのも極端な話だと思う。Death sauce は毒薬じゃなくて超絶辛いタバスコだ。

まあ、レシピとかグルメ系のコンテンツで毎回「ウマ死」「死ぬかと思うほど旨い」とか言ってると、さすがにずいぶん軽い命だなって思うけど。

「死ねばいいのに」も連発されると、ずいぶん安直だなって感じはする。対戦ゲームやってるとすると、相手がログアウトしてくれたら残った自分は自動的に勝てるわけで、そんな楽してどうするのって思う。なんか「空から女の子振ってこないかな」「宝くじあたらないかな」って言うのと似てるのかも。