予定地

いずれなにか書きます

F.O.B coop 閉店して、わりと同年代の女の人(元オリーブ少女ぽい人たち)はショック受けてたりするけど、なんかオーナーの閉店の談話見てたら「若い人が育たなかった」とか言ってて、そこがなんか引っかかってる。
若い人、普通に仕事してたら育つものだと思う。育たないとしたら、採用する側が間違えて適切じゃない人を採用してるか、教育する側がつぶしているかいずれかで、それってどっちもダサいことだ。「育てられなかった」っていうべきところ「育たなかった」っていう表現する時点でものすごい嫌悪感ある。

むかし、北山にF.O.Bがあって、そのころ近所に住んでた。なんか元気なくなると見に行ってちょっとした雑貨とか買ったり買わなかったりした。ついでに川沿いをぶらぶらした。あこがれる暮らしがそこにあった。いつか気軽にこういうお店で買い物できるようになりたいって思った。

10年以上ぶりに京都に戻ってきたら、今度は四条烏丸にF.O.Bがあったけど、そしたら、もうF.O.Bで売ってるものはF.O.Bで買う必要性が特に感じないものだけで、たまにグラスがわれたら補充する、とかそういう付き合いになってた。

自分が成長したのかなんなのかよくわからないけど、いいものを買って生活をいい感じにするという感覚がなくなったわけじゃない。でも、そのベクトルは別のほうに向いたなって思う。

たとえば、デュラレックス、あの、おしゃれで丈夫で安いフランスのグラスを、おしゃれと思って買ってた時代があったけど、今は安くて丈夫でいつでも同じ規格のが買えてamazonに注文したら翌日届くから使ってる。同じ物使ってるけど、前者は特別、後者は日常で、そういう変化は自分にもあったし社会にもあったと思う。結局、それについていけなかった、ついていかなかったからの閉店なんだろうし、それをかっこいいという人もいれば、ダサいと思う人もいて、私はダサいと思う側なんだと思った。
F.O.Bのカフェがあった跡地、今スターバックスになってて、F.O.Bが好きだった人からすると、なんかそういう画一化された文化に負けたみたいな感じなんだろうなって思う。でも、自分は正直どっちのカフェにも特別な魅力感じなくて、ごちゃごちゃした家でコーヒー淹れて好きな本とか読んで好きな音楽かけるのが一番快適。