人類の進化
画像投稿できる機能を作ったら絶対にわいせつ画像を投稿する人が現れる、みたいなのはサービス提供してて当たり前のように想定しないといけない感じなんだけど、もしかしたらいつかはそれが当たり前ではなくなるかも知れないって思ってる。
古代、人類が集落とか作って暮らしてる時、知らない集落の人が来たら殺すって文化も珍しくないというか、当たり前だったんじゃないかと思う。旧約聖書読んでても基本的には部族全体虐殺とかカジュアルに行われていて、でも、今はそういうことをやると国際的にむちゃくちゃ批判される。少なくとも当たり前ではないというのが常識にはなってる。
中世から近世にかけて、知らない奴コロス文化より、なんとなく仲良くして情報交換とかしようぜ文化のほうが武力として強い感じになって、知らない奴コロス文化は駆逐されていった感じする。で、今でも離島とか砂漠とかたどり着きづらいところにはそういう民族も残っていて、先進国が本気で武力持っていけば滅ぼせるけど、そういう民族浄化みたいのはやっちゃダメ、保護すべきっていうモラルが普通になったから、そのまま保護されてたりする。よく知らない人が上陸して普通に殺されてる。インド領のアンダマン・ニコバル諸島とか。
なんかそういう経緯考えると、人の当たり前のうち本当に不都合な部分ってそんなに時間かからずに当たり前ではなくなるものだなと思っている。劣等民族は滅ぼしていいでしょ、みたいなのが少なくとも先進国で常識でなくなったのって、たかだかここ100年ぐらいの出来事だと思うし。
話が壮大になったけど「群衆の叡智」みたいな感じのこと、一時期ものすごい希望があったのに今は「人類には無理だった」みたいになってて、でも、もしかしたら100年ぐらい経ったら成立したりしないだろうかとも思ってる。生きてるうちには見ることができないだろうけど、死んだ後、転生したり、あるいは守護霊とかそういう形になって三次元世界に介入できたりしないかなあと、そういう時は少し思う。