予定地

いずれなにか書きます

なんか母性が余ってるから年下とかダメっぽい人を好きになるのはよくない、みたいなことを言われたんですけど、それは非常に心外な感じする。だいたいもともとが妹キャラですし、甘えたがりですし、母性というか育成欲は仕事とゲームで十分みたされてる。

で、どうして年下の人と接する頻度が高いのかという話になるけど、それは別にこっちが選んでいるわけではないと思う。だいたい自分より年上の人ってたいてい奥さんとか子供がいるから、物理的に倫理的に恋愛の対象として外れるというのがまず一点。おっさんは遊んでくれない。(普通に友達としてサシで飲みに行くことすら奥さんがいると難しいのですよ)

次に、人格面で「わからない」ということに対する謙虚さと誠実さがないと話してて腹が立つ感じなのが大きい。抽象的な表現だけども、常に「これまで自分が認識していたのと違う認識があるかも知れない」という気持ちを持ってるか持ってないかって、すごく大事だと思う。年を重ねてもそういう気持ちを持ち続けられる人ってものすごくできた人で、ものすごくできた人って希少価値だから出会えない。だから必然的に年下の人と話すことが多くなる感じ。若いうちは、まだそういう気持ちを持っている人が多い。サシで話すというのは相手の視点を借りて世界を見るという体験だから、よい目を持ってる人と話したい。若くても「世の中こんなもん」みたいな感じの舐めた人は好きじゃない。結構そこで人を選んでる感じはある。

あと、よく言われるんだけど私は生活力ない人とかダメっぽい人が好きなのではないですよ。実際、いままで好きになった人って、とても優れた美しいロジックを持ってて、めちゃくちゃ頭のいい、ものすごくできる人、私が持ってる問題に私の思いつかなかった解を与えてくれる人だけだと思ってるし。

ただ、そういう人は、日常的なこまごまとした判断が世間の普通とずれてることも多々あって、あと過集中とかそういう傾向もあったりで、ゆえに客観的にはダメな人って言われたりするわけです。まあ、そういうところをかわいいと思ったりはするけれども、別にそれは「私が保護してあげないと!」的な意味ではそ思うのではなくなく、「ああ、そのロジックで動くとこういうところが合理化されて抜けるのかー」って感心するという意味で愛おしいのです。

まあ、ひとを好きになるというのは、別に特定の属性だから好きになるというものではなく、その人という固有の存在を好きになるものだと思うし、そういう意味でも冒頭のような決め付けはすごい失礼だし、もしそうだったとしても好きなものは好きなんだから仕方ないじゃないですか、という気持ちでした。