予定地

いずれなにか書きます

ワークライフバランス」みたいな話するとき、絶対的な前提条件として「家族は一緒に暮らすほうが幸せで、さらに家族との時間が長く取れるのが良い」みたいな温度感で語られてることが多いように思う。

それはそれで一つの考え方ではあるんだけれども、だから出社しなくてよいようにしよう、会社で勤めることに対するウエイトを減らそう、とかいうのにも、なんだか矛盾を感じている。

家族が近くにいて対面コミュニケーションすることがお互いの理解につながりより良い関係性を作る、だから家族は一緒にいるべきだ、という考え、それが当たり前ならば、どうして職場組織においては、それが不必要ということになるんだろうか?「能力さえあれば世界中どこでも働けますよね」みたいな考え方って「子どもは有能なベビーシッターがいれば問題なく育ちます」と同じぐらい正論で、同じぐらい乱暴だと思う。

もしも、親と長時間近くにいる子どものほうが安心して親との関係性を作れるというのが正論ならば、職場で長時間近くにいて対面コミュニケーションができる”シャチク”のほうが、組織のメンバーとの理解を得られ良い関係が築けるというのもある意味当たり前で、そこに目をつぶって制度だけを整備しようって旗ふっても仕方ない。

じゃあどうするか、というと、やっぱりそこを完全に両立するのは無理ゲーで、各人それぞれにだましだまし自分に最適なバランスを見つけていくことになるんだけれども、そこに第三者から絶対的な幸福とはこれだ、みたいのを押し付けられるのが一番困る感じがする。

要は、子どもと離れて単身赴任するのも、みんなで暮らすために転職を重ねるのも、リモート勤務するのも、両方、それがその人とその家族と一緒に働く人が調整した結果なんだから許してくれよって感じがする。どんなに頑張っても、どんなに能力高くても、せいぜい理想の70%こなせればいいとこ、ぐらいに考えないと回らないと思う。どうか、片目つぶって欲しい。子どもが小さいうちは、もう徴兵されてるものぐらいに思ってくれればいいのに、って思う。

実際のところ、社会制度とか、まだまだ整備する部分がたくさんあるのはそうなんだけど、究極的に制度をいくら変えたとしても、人間が同じ時間に別の場所に存在するわけにはいかず、移動するには時間がかかる、そういう物理的な制約はどうしようもない。

また、対面でないコミュニケーションでは伝わらないことがたくさんあって、それを乗り越えるほどのコミュニケーションデバイスも存在しない。

なんとなく、あらゆる人(別に家庭がある人にかぎらず)が3割ぐらいはロスがあると思ってそこは責めないことにするのが、もしかしたら最適解かもって思ってる。

★★★

人類に文明が生じて以来、仕事のために家族から離れる人はたくさんいた。船乗り、行商人、遠くに狩りに行く人たち。国家ができたら辺境を警備する人たち。その人たちが全員不幸だっただろうか?

私の場合、特に家族っぽい職場で働くことが多かったからなおさらそう思うんだろうけれども、なんとなくそのへんまでさかのぼって考えたりする。。