予定地

いずれなにか書きます

増田の「執着していた妻に冷めた件」(元記事消えてるけど)に関して、いろいろ。

この旦那さんみたいに、相手が自分を大事にしてくれないとかナイガシロにされてると思う時、つい相手に執着して小言いったり責めたりしてしまうんだけど、そうすると、まず100%、相手がもっと離れていく。

それは、自分が相手に執着して悲しむ側だったことが多いから嫌というほどわかるわけですが。

で、逆に、責められる側であった体験もあるけれども、そちらの気持ちになってみると、それは決して、相手を軽く扱ってるとか愛していないとか嘘をついてるというよりそういうのじゃなくて、ほんと単純な「快・不快」の問題だけなんだよね。

たとえば、子どもが、お母さんが愛情こめた手作りクッキー(全粒粉使用、甘くない、硬い)より、友達と食べるポテチのほうを選んだとしても、お母さんの愛情が否定されたわけではない、みたいな感じ。

このエントリのだんなさん、日頃からそうやって軽く扱われてると感じることに対して不満もってて、小言いったり責めたりしてた、って書いてたんだけど、実際、そういう人と一緒に過ごしたり出かけること自体、正直「不快」でしかなくて、そしたら、新しく知り合った友達とか自分にとって楽しくて安心できる人と出かけるほうを選んじゃうのは本能として仕方がないと思う。

そこで、もしも、奥さんが旦那さんとの約束を優先させたとしても、結局は不快なほうを無理して選んでるので、本心から楽しくはないわけで、それは子どもが「お母さんに叱られるからまずいクッキー食べる」のと同じで、もちろん奥さんだって楽しくないし、旦那さんだってそんな奥さんと旅行しても、結局は、言動のふしぶしに嫌々ながらな雰囲気を感じて、結果、ずっとちょっとしたことで小言を言い続けて不満がたまるだけなんじゃないかなあって思った。

旦那さんの立場からしたら「俺とでかけるのが楽しくないなんて愛情がない」って感じだと思う。でも、奥さんの立場からしてみても「自分が新しくできた友達と仲良くしたりするのにいちいち文句つけるなんて愛情がない」ってことにもなるから、お互い、愛情の量は同じだよね。

「離婚だ!」みたいな人も多いけど、本当はそこを乗り越えていくのが夫婦なのかもなともまた思う。たとえばまずいクッキー作るお母さんだったらヘルシーだけどおいしいクッキーを作ろうとか、ポテチでもオリーブオイルであげた身体にいいやつを探そうとか、そういう感じ。かまってもらえない旦那さんだったら、二人が一緒にいることが「楽しい、うれしい、気持ちいい」っていう「快」であるという体験を作っていくのが良いんじゃないかなあ。

それは、無理に相手に合わせて不機嫌になるのではなくて、たとえば相手が休みの日にでかけたくないならば、文句をいいつつ家にいないで、自分ひとりでも好きなところにでかけるとか。で、お土産においしいものでも買って帰るとか、出先の楽しかった話をする。そしたら「次は一緒に行きたい」ってなるかもしれないし、たぶんお互いそのほうが気楽だろうと思う。

結婚するまで一人で暮らしてて、結婚して一緒に暮らすようになったら一緒にずっといるのが苦しくなったりもするしね…。

あと、そもそも「いつか行きたい」っていうのは、あくまで「いつか」であって現実的な計画じゃないかもなー、とも思った。口約束というより、二人の間に将来の約束があること自体が楽しい。そう言いあうこと自体が楽しい。先に希望があるような感じがするし。

まんがの「きのう何食べた?」で「いつか温泉でも行きたいね」とか言って「でも本当に行く気ないじゃん」っていう回があったけど、あれも本当は「いつか行きたいね」っていう会話をするのが楽しいわけで、たとえば彼らだって、どっちかが職場旅行とかで本当に温泉行っちゃうかもしれないんけど、それは「いつか一緒に行くはずの温泉旅行」とは違うものなのだと思う。

「いつか行こう」が豪華客船クルーズとかウユニ塩湖とかそう簡単に行けない場所だったらよかったんけど、残念ながら国内の普通に行ける場所だったのがよくなかったんだな…。

なんかそんなことをいろいろ考えました。