予定地

いずれなにか書きます

チャレンジと失敗とか

一般論として。何かチャレンジするのはいいことだと思うけど、明らかに失敗するであろう穴が空いてるのに目をつぶって飛ぶのはもはやチャレンジとはいえなくて単なる無謀な遊びでしかないと思う。
「失敗したけどチャレンジしたから偉かった、何度でもチャレンジして今度は成功しようぜ」みたいな感じで承認を与えるのは、いい話っぽいんだけど、本来は「失敗したんだから死ねよ」みたいな感じの人が主流だからカウンターとしてその視点に価値があるのであって、実際に無謀なチャレンジに対して厳しい人がいなくなると、全体に妙な快感回路みたいなものが生まれる危険がある。そうなると誰もが失敗から目をそむけるようになるし、事前に失敗に備えなくなるし、失敗の責任は追求しなくなる。もっと悪くなると、丁寧に思索して入念に穴を防ごうという慎重な人を臆病者とバカにし「目をつぶって飛ばないとチャレンジじゃない」みたいな風潮にすらなりかねない。だからそういう価値観の人たちが集まって承認しあってるのを見ると本当に危ないと思う。
だいたい、高いところから命綱なしで目をつぶって飛んだら死ぬのだ。死ぬからこそ安全にできるように工夫をして考えて、そうやって人類は進化する。「失敗しても再チャレンジができるように」ってのは耳障りよいけど、やっぱり大きな失敗はちゃんと再起不能になるリスクを伴うべきで、そうでないと本気で危険に備えなくなるのではないだろうか、と思う。私は、死ぬ気で死なないようにしたい。遊びじゃなくて仕事だし、ゲームじゃなくて戦争だから。