予定地

いずれなにか書きます

日本人ぐらいしか告白しない、みたいな話

海外の人とそこまで深く付き合ったことないからよくわからないんだけど、ちょっと前に話題になってた「告白なんていちいちやるの日本人だけ、欧米だとデートして自然に仲良くなるもんだ」みたいな記事に関して。

まあ、たしかにアニメや漫画みたいに「付き合ってくださいっ!」みたいなのはさすがにやらないし、なんとなく仲良くなるプロセスを踏むというのが日本でも割と多いとは思う。とは言っても、どっかで「これはステディな関係ですよね、付き合ってるんですよね」と確かめることは洋の東西を問わずあるんじゃないかな。

それなのに、元記事見て俺も俺もみたいなこと言ってるひとたちのなかには「だってやってからじゃないと相性とかわからないじゃん(とりあえずやらせろよ)」みたいな感じの意見があって相当モヤモヤしたわけです。

よくある「ちゃんとお付き合いしてないのにセックスしたくない」みたいな女を、そういうタイプの人は小バカにするんだけど、別にそれって「付き合ってくれたらセックスしてあげる」って対価を要求しているわけではじゃないと思うよ。

デートをするにしても、キスやセックスするにしても、あるいは私生活に踏み込むにしても、それは単にその場の弾みとかムードではなく、お互いをよく知るプロセスとしてもっと親しくなりたいと思っていて、うまくいけばパートナーとして長く関係を育てていくことになるかもしれない、その最初の一段階として「付き合ってるんですよね」って意思確認があって、それが「告白」なんじゃないかしら。

それって「玄関あがるときは靴を脱ぐ」みたいなもので、日本の習慣だとしても悪いことじゃないはず。衛生的だし。

それなのに「家に入らないとそこの居心地がいいか悪いかわからないじゃん、居心地悪かったらすぐに出たいから靴脱ぐとか無理だし俺」って土足で踏み込まれては困るわけです。「欧米じゃ靴脱ぐのはベッドに入るときだけだぜ」ってドヤ顔されても困るわけです。

別に靴脱いだからといってずっとその家に逗留しないといけないわけでもない。挨拶して上がって、居心地悪かったら「そろそろおいとまします」ってまた靴を履いて出て行けばいいだけの話だし。(まあ、頑なに靴脱ぎたがらない人の多くは、たぶん足が臭いか靴下に穴があいてるんだと思うけどね。)

で、特に意思確認をしないままに付き合いをすすめるの、相手に対する気持ちがニュートラルであれば、そういうあいまいさもそれほど不都合にならないけど、どちらかがもう少し深い気持ちを持った時に、たぶんそのあいまいさが不安につながって、その結果、あんまりいい方向にいかない気がする。

たいていは好きになったほうが不安になるし、でも、確認したら悪い結果が予想できるから怖くて聞けないし、聞けたとしても不安が前提だとあまり良い雰囲気にならないし。そういう感じ。海外ドラマとかでもそこで結構めんどくさいことになってるようなのは見るから、やっぱり早めにはっきりしておいた方がいいんじゃないかとは思う。

追記

さらに考えたんだけども、なんで「付き合う」ということをそこまでいやがるのかというと、付き合うということによってその関係が排他的になるのがいやだってことなんだろうなと思う。

相手のことがよくわからないうちに(というか、正直そこまでいい相手だと思ってない場合に)付き合う約束して独占契約を結んでしまうと、他にもっといい案件が発生したときに困る。あるいはすでに現行の独占契約を他で結んでいるので、それを解除するかどうか考えたい、という感じ?

それなら、なおのこと、肉体的接触の前にはきっちりさせときたいって気持ちになるよね。付き合ってる相手いるのにそういう行為に及ぶような人はいやだし、もっといい相手を積極的に探してる状態の人とそういう行為に及ぶのはいやだもの。今後どうなるにせよ、少なくとも現時点において一番でないといやだというのは決して無茶な要求じゃないと思う。で、それをバカにするのはなんかずるい。

で、セックスしてからでないと付き合えるかどうかわからないのと同じように、付き合ってからでないとセックスできるかどうかわからないって感覚もまた否定すべきじゃなくて、靴を脱いで上がってから(プライバシーに踏み込める距離感になってから、独占的契約を結んでから)どうふるまうか、も同じく大事なんじゃないの?とも思う。「箱の中に箱を開ける鍵が入ってる」みたいな話になるけど。