予定地

いずれなにか書きます

学会誌の表紙のはなしとか

最近話題になってるあれ、ロボ家政婦さんを学会誌の表紙にするのが差別かというと、私の感覚ではそういう感じはしない。

たぶん、現代の日本において、同じようなイラストレーション表現においてロボ執事が登場しても、気のいい家政夫のお兄ちゃんロボが登場しても、そこにまったく違和感がない状況だからだと思う。

イギリス式の執事が日本のフィクションには多く登場し、彼らのほとんどが家事全般をプロフェッショナルとして請け負っている。そういう状態なので、すでに二次元表現の世界では、家事労働は「女性のみに課せられた奴隷労働」ではないし、物語の中では男女平等が成立していると思う。

さらに、現実世界でもそうなりつつある。ちょうどさっきマンションのエレベーターで掃除屋さんの若い男性と乗り合わせた。プロが家事を請け負う場合、性別は関係ないのだ。それゆえに、あのイラストは特に差別を助長するものではないと感じた。

あれを問題にするならば、某社の「女子マネ弁当」のほうがよっぽどポリティカルコレクトレスだと思うし、上場企業としてあってはならないレベルでダメだと思う。でもそれをそこまで深刻に批判してる人が少ないのが不思議でならない。

どうしてダメかというと、もともと日本の部活文化において「男性部員を甲斐甲斐しく支える女子マネ」は存在するけど、「女子部員を甲斐甲斐しく支える男子マネ」は存在しないということが大きい。

ちょっと前に、野球の強豪校で選手がマネージャーが作ったお守りを手に試合に臨んだという記事で、マネージャーが男子だというのがネタ的に話題になってたけど、男子校で男子がマネージャーやっててもネタになってしまう。美談にならない。そんな世界において女子の部活で男子がマネージャーやることはほぼ考えられない。「それ何てエロゲ?」ってことにしかならない。

本来は、そういう状況が中学や高校において問題視されていないのもおかしい。個人的には目くじら立てるつもりはないけれども、フェミ視点であれば絶対におかしく感じるところじゃないのかしら。

でも、この話をすすめるにあたっては、実際に存在しないというよりも「フィクションの世界において見たことがない」ということが問題だと思う。ハーレムもののエロコンテンツで主人公が便宜上そういう役回りを当てられていることはあっても、それはまったく別ものだ。

フィクションがそれを乗り越えられていないのであれば。それは物語の世界においても差別的な構造を克服できていないということじゃないんだろうか。

女子マネ弁当への批判に対して「女性にはイケメンがお弁当配ればいいのでは」という反論が結構あったんだけど、それは、あの制度が、単にジャージを着た若い女の子が弁当を渡してくれる体験を提供しているのではなく、まずそこに「女子マネージャーが部員の世話を焼く」というステレオタイプな物語があって、その物語を疑似体験することを提供している、という文脈がわかってないと思う。

女子には、イケメン男子マネージャーが頑張る女性部員に弁当を渡すストーリーはない。疑似体験する物語がないのに形だけ対称にしても仕方がない。

どっちの話も、現実世界とフィクション表現とを混同したら論点がブレると思う。

出発点として、現状で、リアルに「男は働き、女は家事」という構造は根深くのこっていて、そういうジェンダーロールを社会が無意識に当たり前として押し付けるようなことはよくない、というポリティカルコレクトな考え方がある。(「男は働き、女は家事」という個別事例を問題にしているのではなく、あくまで社会的に押し付けるのがダメということ)

しかし、家政婦ロボという表現が成立するフィクション世界においては同様に執事ロボが家事をさっさとこなしているところまで進化しているのだから、少なくともフィクション表現が受け入れられる世界においては、差別の構造自体が解消されている。人工知能を備えた家事ロボットが女性型でも男性型でもそれはコンシューマーが選ぶ選択肢の一つにすぎない、という文脈が成立している。だから家政婦ロボによってジェンダーロールが押し付けられるという可能性は、その文脈が共有できている限りそれほど考えられない。

さて、リアル社会では同様に「男は部活で活躍し、女はユニフォーム洗いと応援」という構造も根深く残っているわけで「男は働き、女は家事」を押し付けてはいけないのであれば、これもやっぱり社会が無意識に当たり前として押し付けるようなことはよくないはずだ。

さらに、こちらは、フィクション世界においても、その差別は解消されていない。ならば、その物語を企業として無自覚に消費するのは、あまり褒められるようなことではない。少なくとも「物語として美しくない」と私は思った。

ただ、もやもや考えてるうちにふと思ったんだけど、物語を消費する時にはリアルの性別を乗り越えられるという部分もある。主人公が男性しか選べないゲームであっても、女性は主人公に感情移入しながら楽しんでいるし。

じゃあ、某社においても「朝にラジオ体操して女子マネにお弁当をもらう」というシナリオを部活男子になりきって楽しめる女子社員がたくさんいるのかも知れない。それなら逆に先鋭的な感じがするし、納得してしまう。実際、わりと若いオタク女子はそういう感じで、心に男子回路がある人も結構いるので、だから問題視されていない…のであればいいんだけど、どうなのかな。