予定地

いずれなにか書きます


「いらないものを押し付けてくる親」問題って、ものが悪いというより、いらないと断ったり、もらったものを捨てたりできないところにこそ根っこがあると思ってて、実際のところ、どんなゴミみたいなものを送りつけて来られたとしても「ありがとう」って口で言いつつモノは捨ててしまうことができるならば何も問題はないので、そこに対して良心の呵責を感じる(ように育てられてしまっている)ところが問題なんだと思う。

モノを渡すことによって、相手とのつながりを作りたい気持ちは誰しもある。だから世間では何かのたびにプレゼントしあったりする。モノ=つながりではないけれど、モノには「つながり」が染み付いている。

おそらく、毒親と言われる人たちにとって、子供とのつながり=支配なので、モノは首輪や鎖みたいなものだ。だから、捨てさせない。捨てたころ、忘れたころを見計らって「あれはどうした?」「あのときあれをあげたよね」みたいなことを言い出すし、子どもの方も捨てるのが本当に怖いのだ。親に支配されているうちは。

与える側と受け取る側の距離がそれなりに遠ければ、捨てるのは簡単だけど、近ければ近いほど捨てることは難しくなるし、だから親との問題は根っこが深いんだろうと思う。

☆☆☆

うちは子供が少ない家系みたいで、小さいころにかわいがってくれた大人の多くが身寄りのない老人になりつつある。そんな老人の家の片付けを手伝いにいくと、本当に何十年も前の贈答品が大事にとってある。毛布、鍋、揃いの食器、流行遅れのネクタイ、ハンカチ、タオルケット。「内祝」やら「御中元」やらののしが付いたまんまのもの。彼らもまたモノに染み付いた「つながり」を捨てることもできずに、ずっと死蔵していたんだと思う。

私達は帰りにそういうものをごっそりもらって「ありがとう」っていって帰る。そして次のゴミの日に捨てる。

モノを捨てることって本当に難しい。でも、うまくモノと「つながり」を切り離すことができるならば、本当にありがとうといってその人との「つながり」を受け取り、いらないモノを捨てるということもできるのかも知れない。今、そういうのを練習してる。そして、できればモノを介せずつながりだけを作れるようになりたい。年を取ってしまう前にそうなりたい。