礼儀のこととか
本来「礼儀」というものは、誰かから誰かに対する一方通行のものではなくて、2人以上の人が集まった時に、お互いを尊重し敬愛しあう空気をその場につくるための振る舞いだと思っている。場を育てるためのプロトコルが礼儀。
古くから「礼儀」として伝えられている作法の多くは、本来そういうもので、目上、目下という関係においても、目上は目上で礼を尽くしてこそ、目下は目下の礼が尽くせる、そういうことが必ず述べられていて、立場が下の人間が一方的に耐える構造にはなっていない。
だから、本来、礼儀作法は、場の全体を見る視点では、かならず理にかなっているものなのだ。でも、実際にはたいていそういう形で運用されていない。目上は自分の都合の悪い作法は無視して、目下にだけ理不尽を押し付けたりする。目下が一方的に目上の言うことに従うのが礼儀、みたいに考えてる人もいる。
で、そうなってしまう理由もある。誰かが決めつけられた理不尽に耐えることで、その場の権力がある特定の場所に集中することになり、それは、短期的に場を大きく育てることにとても有効だからだ。要は、パワハラの横行するブラック企業のほうが儲かって当たり前、ということ。極端に栄えた国家の多くは専制君主の圧政で、かならず理不尽に耐える人たちが犠牲になっている。
しかし、それは必ずある局面から急速に衰退することもまたわかっていることだ。覚せい剤を使ってハードワークに耐えるようなもので、絶対に破滅する。人類の歴史で何度もそれが繰り返されているのに、それが常識にならないのが、歯がゆくてならない。
個人的には、そろそろそういうのやめて、成功の定義自体見なおさないと人類滅びるよ、って思っている。