予定地

いずれなにか書きます

眠れなかった日々のこと

ちょっと不眠について話す機会があって、よく考えてみたら、だいたい2002年ぐらいから2010年ぐらいまで、ずっとまともな睡眠習慣がなかった。
悲惨な話っぽくなったから畳む。


特にその時期の中盤は家にいても眠れなくて家に帰れなくて朝まで飲んで朝5時に寝てそのまま会社行くとかそういう感じだった。お酒がなかったら服薬しないと眠れなかったし、薬を飲んで眠ったら短時間で起きるのは難しい。薬ではハルシオンが一番軽く眠れて翌朝の抜けがよくてよかったんだけど、犯罪に使われたり乱用する人が出たせいで処方してもらえなくなったのは困った。だいたいマイスリーの容量少なめのを使ってた。

その時期は、仕事でいつも緊張して、プライベートでも問題を抱えっぱなしで、本当にどこにも逃げ場がなくて、どこも最終責任者は私で、しかも、たいてい毎日のように予測しない理不尽なトラブルと、自分の思い通りにはならない事柄ばかりをさばいていたように思う。だからだいたいいつも身体がこわばっていた。人を信じられなかったし、自分はもっとダメな存在で他人から見下されていると思っていた。とにかく強引にこの環境から連れだしてくれる存在を夢見ながら、毎日疲れていて何もかもを投げ出して死にたいぐらいの気持ちでいた。

そこから少しずつ脱出できたのは、たぶんシェルター的な役割を果たしてくれる人たちと出会えたことが大きい。初期twitterの熱狂のおかげで近所に住んでた人たちといつでも会って話せたからだった。少なくともその時期はそこは安全だった。本当にひどい状態に陥っている場合、一時的にでもそれを遮断できる安全な場所がなければ脱出する方法は考えられないと思う。たとえそれが逃げだったとしても。

その後もいろいろあったものの、最終的には京都に来ることによって、プライベートのほうの問題はほぼなくなり、日々の生活をゆっくり味わえるようになり、気づいたら普通に夜寝て朝起きられるようになっていた。

今は、自分一人で生活を仕切れることで心が救われている。とにかく絶対に精神に危険が及ばない時間が一日の中に数時間確保できている。とりあえず家に帰れば安全で何も傷つくことがない。自分が予測した以上のことはあまり起こらない。そしたら大分他人のことが信頼できるようになったし、もうちょっと長生きしたくなった。それは、このへんのプロセスを経て、根深かった自己価値をやたら低く見積もる癖がようやく矯正できたことも大きいと思う。(その間いくつかの心理的なセラピーも受けた)

しかし、考えてみたら、ずっと夢見ていたように誰かの力強い手で連れ出されるなんてことはなくて、自分を脱出させたのは、結局のところ自分の意志だった。誰からも望まれなくとも強い意志が周囲を巻き込むことはあるんだなあ、と、そのへんの経緯を思い出すとつくづく感心する。

要は、理不尽なトラブルが発生しないように構造を組み直すのに都合10年かかって、自己評価の低さを矯正するのにも同じだけの時間がかかったということになる。

そういうのはとてもつらかったけれど、なによりも、私は精神の独立性が保てる環境がなかったのがずっとつらかったのかもしれない。2007年ぐらいのテキストが断片的に残っているけど「世界の美しさを感じる時間が必要」って何回かかいている。今は、望むならいつでもそれを感じることができる。それを感じられていれば、わりとなんとでもなるんだと思う。

自分と世界とのつながりだけに純化してしまえば、他のことなんてのはオプションのようなものだ。もしそれが自分を必要以上に苦しめるなら、どこかにそれに無理に執着している部分があるんだと思う。そして、執着は悪くない。好きで執着していることを自覚していれば、いつでも手放せるものだし。