予定地

いずれなにか書きます

比較的年長者として思うこと

能力が高い若い人の率直さとかって、本当に貴重な宝物のようなもので、それをいい形で活かすのが年長者の努めだと思うし、それで自分の痛いところを突かれたとしてもそれはむしろ喜ばしいことだと私は感じる。

自分の老化した目では気づかない視点で見てくれているのだから。その代わりに彼らが知らないことを私が知ってたり、彼らにできない表現を私ができるとしたら、そこを組み合わせてこそいい形にできるし、だから一緒に何かすることで価値を出せる。

残念ながら、実際には痛いところを突かれるのに耐えられない年寄りが世の中にはたくさん存在して、そういう人はだいたい骨のある若者に対して生意気だとか増長しているとか配慮に欠けるとか言って潰しにかかるわけですが、害悪でしかない。年長者として大事な要素って育成力で、それがないのに年だけとってもどうしようもないんじゃないだろうか。少なくとも組織の上のほうに来るべきではないと思う。

たとえば、表現に問題がある場合、自分がよりよい表現で代弁してあげるのが何よりの教育だと思うし、表現に問題があるから直せって叱っても何の意味もなくて、たぶん何も表現しなくなってしまうのがオチだ。それで「最近の若い子は自分から何もいわない」みたいにボヤいても、そうさせてるのは自分だと思う。貴重な宝物を壊してしまっている。

しかし、正直、そういうわかりやすい感じで若者を潰す老害、みたいのは21世紀なんだしとっくにオワコンだと思ってた。でも、見てたらだいたい30過ぎたぐらいから普通にそういうパターンに陥る人が出てきたり、組織が大きくなるとそういう人が昔っぽい業界から入ってきたりで増える。一般論だけど、たいていのベンチャーは「ところがある日わるいスーツがやってきてみんな不幸になりました」みたいなことになって、すごい残念な感じがする

で、そっちが常識ですみたいに言われたら自分が間違ってるのかなと思うけど、なんというか、そんなのに負けちゃダメだなあと思ってる。

まあ、確かに常識に沿っていれば上場しましただの株価上がりましただの規模が大きくなりましただのってことになって、いい家に住んだり、子どもをいい学校に入れたりはできるかもしれないけれども、それって幸せって言えるんだろうか。少なくとも面白くはない。もっと新しいやり方で大きくなれないものかなって思う。みんな幸せなままで。

王様がはだかであることを指摘できるのは、子どもだけなんだ。少なくとも、私は生意気で傲慢な若者を歓迎したいし、どんどん増長させていきたい。歳を重ねたら自然に角なんてとれていくんだから、本質的に大事な部分を大切に育てたいと思っている。

「思う」とか「かもしれない」とか「感じがする」を使うメソッド使ったから怒られないと思う。