予定地

いずれなにか書きます

だらだら書く

中二病を発病してからずっとテレビを見てない。

まだ高校のころは、沢たまきのプレイガールの再放送とか、くだらないイタリアお色気映画とか昭和のエロが一周回っておしゃれだとおもっていたので、昼間のローカル局でそういうものばかり見ていたけれど、大人になってからはそういうものにも飽きて、そもそも映像自体を見なくなった。
なんかインターネットでよく見る、マスコミやら世間やらにイライラしている人を見ると、単にテレビ消せばいいのにって思う。自分一人がテレビ消しても情弱がマスゴミに騙されるんは止められないんだよ、っていらだちも、そこから離れてしまうと本気でどうでもよくなるし、テレビをあんまり見ていない人も確実に世の中には数十%ぐらいはいる。テレビを見てる人が何かあると雪崩のように流されて動くからみんながテレビに踊らされているかのようにみえるんだと思う。単一のものに雪崩をうつときの勢いとか絶対数から「テレビの影響ってすごい」って思うけど割合としてはそう大きいものではないことを忘れてはいけない気がする。

かつて、みのもんたがテレビでバナナを薦めたらスーパーからバナナが消える、なんてことがあった。自分の友達や会社の人は誰ひとりとしてそんなの信用してないし、当然インターネットの人もみんなバカにしてるのに、スーパーからはほんとにバナナが消えてて、何かパラレルワールドの出来事のようなリアルじゃなさを感じた。

社会が細分化されて、ある社会の当たり前が別の社会にはまったくリアリティを持たなくなってきてる。小町で「40代になったらロレックスかカルティエ、ブランドのついてない時計を持ってる人なんてみたことない」って人がトピを埋め尽くしても、自分の身の回りではむしろ時計をしてる人のほうが少なくて「時間みないといけないようなことがない」って世界だから、それもまたパラレルワールドの出来事のようだ。

ここまで社会が細分化されてしまえば、価値観が合わない社会からは、自分が望むなら自由に離れることができると私は思っている。だけど、そういう考えにリアリティが持てない人もたくさんいるんだろうと思う。だって、満員電車で通勤や通学するとか無理にやらないといけない理由はないのに、埼京線にはあんなに人があふれているし。正直、カルティエの時計で大宮あたりから押し寿司の箱みたいのに詰め込まれるぐらいだったら、そんな時計いらないから会社の近所に住みたい。時計代ぐらいで家賃の差額は回収できないけど、小町世界の当たり前って「記念日にダイヤは当たり前、0.3ctなんて小さくてちょっと恥ずかしい」とか「盆暮れに何か贈答品をもっていくのは当たり前、デパートでないと恥ずかしい」とか一年365日張り巡らされた「これくらいやらないと恥ずかしい」の連続なので、そんなもの全部無視したら好きなところに住めるよ。大きなテレビはいらないから大きなリビングもいらないし、家族がみんなで乗れる大きなクルマもいらない。電車とバスでどこにでもいけるし、いざとなったらカーシェアという便利なやつもあるし。

今は、会社から歩いて15分ぐらいのところに住んでるから徒歩通勤にしてる。正直、それが一番快適で贅沢だと思う。自転車通勤がよく話題になるけど、徒歩通勤が一番エコだし一番安全で身体にもいいのに、なんで流行らないのかと思う。都心に住める物件がないわけじゃないんだから普通に会社の近くに住むって選択肢はありだと思うんだけど。