予定地

いずれなにか書きます

今年の漢字

今年の漢字」を何年か見てて、阪神大震災の時は「震」で中越地震の時が「災」で、東日本大震災の去年が「絆」なんだなあってあらためておもった。

大きな災害が起きたことを、前者2年は客観的にまとめて表現されているのに、後者には災害に対して何か特別な意味付けがなされている。地方で何が起きても、首都圏に具体的な被害が発生しなければ割と客観的に取り扱われるんだな。悪く言えば「他人事」だ。首都圏に被害が波及した段階で「災」や「震」あるいは「波」とかで済まされず意味づけをせざるを得ない何かが発生する。人間の心理としては、まあ、それは当然で、遠い場所でどんな悲劇が起ころうとそんなに自分のこととして捉えることはできないから、それが悪いこととは思わない。

ただ、ああいう感じで発表される何かってのは、地方から見たらそれくらいの距離感があるし、ものすごく乖離したものが「日本という国はこうなんですよ」ということになってること、で、それはそういうものとして取り扱われていること、それが端的に感じられた。