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知人がドラマを見ていて、主人公の女優さんが可愛い、好みだ、みたいなことをを、節操なくいろんな女優さんに対していってるのに対して「かわいい子ならだれでもいいのでは」というツッコミが入ってたけど、なんとなく「ヒロインならだれでもいいのだろうな」と思った。
もちろん女優さんはもともとキレイだったり可愛かったりするんだけど、何より重要なのは、ストーリー上、ヒロインという価値を与えられているということで、そういう前提がある上でのセリフ回しであり振る舞いであるからこそ、素敵に見えるわけだ。
実際それは普通の世の中でもあることで、所属するコミュニティの中で「可愛い女の子」としてのポジションを与えられチヤホヤされていたら、その価値があるという前提の上でその女の子は振る舞い発言をする。その子がヒロインであるという前提のもとで、人間関係ができていく。そのうち、コミュニティを外から見てる「観客」にも、その子はヒロインであるという前提が波及していく。
逆に、よく見たら可愛い顔でも、その前提が共有されてなかったら埋もれたままなんだと思う。ほんとに胸の大きい子より身体のライン出る系の服着て寄せ上げブラで谷間作ってるほうが「巨乳」って言われる。
可愛い子がいいんじゃなくて、みんなから可愛い子って言われてる子が好きなんだろうし。おっぱいの大きい子がいいんじゃなくて、みんなから巨乳って言われてる子が好きなの。そういうもんだと思う。
しかし、考えてみたらジョルジュ・サンドの「愛の妖精」ってそういう話じゃなかったっけか。あれを読んだ10代のころにそれに気がつけばよかった。自分の魅力を見つけ出してくれるランドリーのような人を探しつづけて年をとってしまった。誰も自分の当たり役の脚本なんて書いてくれないのにな。