予定地

いずれなにか書きます

誕生日だったので、年をとることについて書く。

このブログを読んでくれている人はわりと若い人が多いように思うけれど、で、そういう人からは想像がつかないと思うけど、40過ぎると、過去、特に20代のころに起こったモロモロの事象の時系列がわりと曖昧になる。
ぱしっと記録に残るようなことに関しては比較的ちゃんと残ってるんだけども、自分の中にしか残らないものに関しては曖昧な記憶のカタマリになる。
自分は20代の多くを京都で過ごして、その後東京に長く住んだ。なので、どちらにもそれなりの記憶がある。そして、最近、東京と京都を行き来するようになると、場所に関連づいた思い出や街に対する感覚が変な感じで混ざって、頻繁に今どこにいるのかわからなくなっている。
どうも、人間は「今現在」という時間に3次元空間を生きていて、その現実はとても堅固なように感じるけれども、次の角を曲がったところに何があるか、となると、それはもはや自分の脳内にある記憶情報が再生された幻でしかないんだ。
若いうちや、情報量が少ないうちは、それは比較的正確に認識ができるんだけれども、情報量がむやみに多くなり、さらにたくさんの時間軸を含むようになると、しょっちゅう意識がおかしなところに入り込む。私だけかも知れないけれど。

もっと年をとって曖昧な記憶の領域が増えてきたら、ますます自分の中のマジックリアリズム的世界を生きるようになるのだろうと思うと、なんとなく年をとるのが面白くなってきた。