予定地

いずれなにか書きます

すごい人といっぱい会うと、中には利害や価値観が相反する人たちもいて、そんな中でどちらの顔もつぶせないとなると、ダブルバインドに陥って何もできなくなるというのは容易に想像つく。

「言いたいことも言えない世の中」といいますが、それは自分の知り合いの中に価値観や利害が対立している人がいるということに他ならず、逆にそれは健全なのではないでしょうか。

両方とも私の意見で、自分でも矛盾しているなあと思う。
言いたいことが言えない方が健全だと思いつつ、でもそれで失われる突破力もあるなあとも思っている。たぶん、それは両方必要なんだと思う。
若いうちに恐るべき子どもたちとしてお偉い大人を蹴散らして、そして大人になった後で相反する視点に気づくというような。
逆のスタイルはあるんだろうか。若いうちに偉い人にヘコヘコ取りいって、旧勢力の中の若手として人脈を作り、逆らう人が弱りきったある日、自分の意志をじわりじわりと浸透させていく。かっこいいな。でも悪役っぽい。
まあ、結局そこは当事者の器によるんじゃないかなあと思うし、先もあげたように頭がよくて育ちもよくて順調に能力を伸ばしてきたような若者は年寄りに媚びて年寄りにウケがいい「弱者救済」とか「社会事業」とかやってる場合じゃない、もっと自分のすきなことを一点突破的にやっていってほしいと思うし、いい加減衰えが目についてきたクズい大人どもは、多様性みたいな、もっとぐんにゃりしたものの中に溶けて生きるのがいいと思う!ああそういうことだわ。