予定地

いずれなにか書きます

お茶くみの話とか

男女共同参画の役所が主催するイベントで、お茶出すのはやっぱり女でしょ、みたいな話になって、このイベントの趣旨としてそれおかしくない?→でも男はお茶の入れ方とかわかんないし→ということで、男性スタッフがお茶を出し、女性がそれを補佐するとかいうわけのわからないことになったってツイートまとめみて、普通にペットボトル配ればいいのにって思った。

うちみたいな会社に限らず、わりとドメスティックな感じのメーカーとかでも最近はペットボトル配る会社が増えてて、さらに、なぜかペットボトルを配るのは若い女子社員よりも男性社員のほうがサマになるのがふしぎ。

ただ、このお茶くみ論争(21世紀になって10年経つのにまだこんな言葉つかってるんですよって70年代フェミのお姉様型にお伝えしたい)にまとめられているコメントの内容から見ると20年前より状況はむしろ悪化してる。「え、女なんだからお茶入れたらいいじゃん」「なんでそんなところにこだわってるの」みたいに他人に対して言える女性が増えてるのはなんだか大変だなあと思う。

とはいえ、自分にももう社会を変えようという気がなくて、むしろ、そういう現場とかそういう人間関係を選ばない自由が確保されるほうが現実的だと思ってる。要は、昔ながらの「事務の女の子」がお茶いれてくれる会社はそれはそれでいいし、そういうところでお茶を入れるポジションで働くのがいやなら、無理にそういうところにいかなくてもいい、という意味で。そしてそれはわりと実現できてると思う。おいしいお茶を入れることで、昔ながらの会社で定年退職まで逃げきってくれそうな男性を見つけてつかまえる自由もある。今はそっちのほうが大変そうだけど。