予定地

いずれなにか書きます

たとえば、自分の勤める会社が東京にあったのに地方都市に移転することになったとして、東京でしか暮らしたことがない恋人や配偶者に対して一緒についてきてくれとかいうのは難しいし、なんとかだましだまし遠距離で行き来する生活を続けていてもやっぱり限界はあるよね、とか、もともと東京出身の人が地方で就職したけど東京の恋人と遠距離恋愛してるとしたら、いずれかのタイミングで東京に転職先を探すだろうな、親のことも心配だしな、とかいうことは、まあ普通に考えれば当たり前のことなんだけど、そうやって人が抜けた状況を外から見ると「会社に何か問題があるのでは」ってなるんだよなあ。

たいていの退職エントリにおいて表向きの理由は「より自分のやりたいことができる新天地に移る」みたいな形で発表されるけど、それを読んで前の職場に対して「待遇悪いんだろ」とか「職場の雰囲気が悪いのでは」みたいな邪推はみんなするのに、そういうプライベートなことを想定しないのはなんか不思議な気がする。プライベートなことだけに原因を帰すのもまた違うかも知れないけれど、原因のうちの幾分かはそれが占めてるという事例はわりとあるんじゃないかな。(と、ぼかす)

まあ、人は思った以上に土地に囚われているのです。多くの人の場合、自分の住む場所を自由に設定できるのは人生のうちの限られた季節だけなんじゃないかと思う。