予定地

いずれなにか書きます

思えば、家を出るまで「人に頼る」ということは「その人に対して自分がそれをできないということがバレてバカにされたり悪く言われることである」と思っていたので、他人に頼るのがずっと下手だった。

かなり最近になってから、普通の人はできないことを代わりに頼んだからといってバカにしたりはしないし、できないことや苦手なことを助けあって生きるのが普通なんだ、ということがわかったので、生きるのが楽になった。

この3日、母と対峙していてずっと「自分ができないということがバレないようにする」というあの防御感を感じていた。実際、ことあるごとに自分の選択や自分の考え方に対してネガティブな反応が返ってくる。本人はそれを全く自覚してなくて私のことを神経質で扱いづらいという。子どもにとって親というのはどこか絶対というものがあって、私のようにわりと道徳的に育つと親の価値観を切り捨てるということが完全にはできないので、それがずっとしこりのように残っていたんだと思う。

ようやく「違うよ、それ、たぶん普通じゃないのはそっちだよ。」そう思えるくらいには強くなれた気がする。