予定地

いずれなにか書きます

やることとやらないことが等価である話

この世の中では、何かをやることより、何かをやらないことが過小評価されている。

本当は、何かをやらないという決断を行うのは、何かをやるより苦しいことが多い。本気でそれをやろうとして取り組んでいた場合には、その分だけ重い決断になる。

努力が足りなくて実現できなかったといってしまえばそれまでかも知れない。でも、つきつめて考えたら、やらない決断の裏には「それをやるよりも、もっとやるべきことがある」という、その人の選択が隠れている。

人は限られた時間を生きている以上、その時その時に何をやるかを選ばないといけないのだ。だから、本来、何かをやることは何かをやらないことと等価だと思う。やることに意味があると同じぐらいの重みでやらないことにも意味があるし、何かをやらないことは別の何かをやることと表と裏でつながってる。

なにより「何かをやる」「何かを続ける」ことに重きを置きすぎると、それをやる「人」が見えなくなっていく。人が業績の付属物みたいになる。それは危ういことじゃないかしら。

参考図書

うたうこととうたわないことの本。

文庫:ラブ・ゼネレーション (ROCK文庫)

文庫:ラブ・ゼネレーション (ROCK文庫)

はじめることとやめることの本。

カフェをはじめたくなる本、カフェをやめたくなる本

カフェをはじめたくなる本、カフェをやめたくなる本

どちらも等価の選択だと思う。