予定地

いずれなにか書きます

10/13

自分は、サークラ的女子に対する敵意を、わりとデフォルメ気味に表に出すことにしているけれども、その根底には、それにコロリとだまされてしまう善良な男性に対する徹底的な絶望感があって、でも、オトコに絶望してしまうともう生きていけないので、自分と周囲に対して「単に嫉妬である」と言い聞かせているように思う。正直、自分はそういうのにだまされないタイプの人とだけ仲良くしてたら十分幸せになれるし、そういうのにだまされない男性も本当はたくさんいる。*1のだけれども、これだけ人のつながりが可視化されやすい世の中だと結構面倒な気分にもなるわな、みたいなことを考えたりしたね。
最近思っていることのメモ。たぶん、無限につながっていくみたいなことなんてあまりみんな望んでなくて、本当は、どっかで閉じたいんだろうと思う。だけど閉じてるスタンスを見せるのは世の中的にイケてない感じがする。世間には「開いているよ」という顔しながら、実際には、そのサービスにリーチしてる人というラインで一定の制約が与えられるから、まだ流行ってないサービスは面白い。でも、閉じることはサービス規模とか仕組みみたいなとこに依存するんではなく、本当は自分の手でやらないといけないことだったりもする。どう絞り込んでいくか、それが結構むつかしい。だけど「嫌い」も大事にしないと「好き」が濁っていく。
と、今日思ったことのメモ。何かが、誰かのきっかけで流行したりすると、えてして「その誰かのパワーがすごい」みたいな話になるけど、実際には、その情報が伝播するルートすべてがすごくないと、ちゃんとものごとは流行しないと思う。きっかけはあくまできっかけなのであって、それを過大評価すると見失う部分が出てくると思う。むしろ見えない(見せようとされていない)伝播経路のほうに何かすごさが隠れてることも多くある。どうも単純な理解の人見るとイライラする。

*1:表面上はそういう女子と適当にあわせてても内心好意はもってない、とかいうタイプも含めると、本当は意外にだまされてない