予定地

いずれなにか書きます

9/6

少しずつ回復している(と書くと、回復しているような気分になるメソッド)



自分が世の中になんらかの価値を提供して、その対価としてお金をいただく、すなわち仕事というのはやっぱり意味のあることだと思う。自由であるために。
仕事を恒常的に義務としてやらなくても、たまたま遊びの中から偶発的に生まれた金の卵をお金に替えて生きていくことができれば、まあいいよね。でも、日常生活をまわせてこそ、偶発的に生まれるのを待つということができるのであって、そのお金がない状況では、いつ産まれるかわかんない卵なんて待てないから、手元にない卵をあるようなフリしたり、ウンコを金色に塗って金の卵に見せかけたりすることが求められたりして、んで、そんなもん可視化できないからいつのまにかクオリティが落ちてきていることに自分だって気付かなくなってしまって、遊んで暮らしてるつもりが、いつのまにか雇われてるより本位でない雑事に追われてしまったりね。結果的に、嫌々仕事するより苦痛になっちゃったりしないのかね、とか思う。そんなの、社会にとっても自分にとっても害悪だし。ベーシックインカムがあれば、って話なのかな。そしたらたまたま偶発的に生まれたすごい価値の高い金の卵の価値は目減りするよね(税金とかで)。それとも家に財産があれば?確かに、たまにそれができてる人もいるけど、代々引き継いだ財産なんてのは足かせになってる例を見るほうが多いよ。
なんとなく、サスティナブルな感じで、自分が楽に仕事できるようにして(できれば普遍的価値を提供できる仕事がいい)で、生活の規模を縮小してシンプルに暮らすのが、長い目でみたら自由な生き方なんじゃないかなとか私は思う。直感的に。
共同体の中に一人二人ブラブラしててなんとなく養われてるみたいのがいてもいいとは思うけど、それだって適性ない人にはしんどい生き方なんじゃないかなあ。共同体に依存することで自分の大事なところをじわじわ侵食されていく、そんな気がする。